東京渋谷で訴える!原発20km圏”殺処分”の牛たちを守る「希望の牧場」吉沢牧場長
10月24日(月)午後、東京渋谷駅のハチ公前広場で希望の牧場の吉沢正己牧場長が
福島の人たちの思いを訴えた。
「福島の人達は差別を受け苦しんでいる、放射能汚染に苦しんでいる。
福島県のみんなのことを考え、想像して欲しい。」
「牛たちは被曝してしまい、商品価値はなくなったが
無意味に殺処分するのではなく、被曝研究の目的で生かしたい。」
今回が東京での5回目のアピール行動だった吉沢さんは、
「繰り返しアピール続ける中で、メディアへの露出も増えてきた、少しずつ希望の牧場のこと、警戒区域内の牛たちのことが認知されてきている。
しかし、まだまだ政府を動かすには力が足りない。
もっと多くの人に知ってもらい、政府や自治体が無視できない実力を得たい。」
と、今後も粘り強くアピール行動を続けていく考えでいる。
●牛たちの囲い込みと隠される20km圏内
希望の牧場の舞台となっている吉沢さんのエム牧場では、広い放牧地の中で330頭の牛たちが今も元気に生きている。
一方、原発20km圏内には、放置された牛たちが1000頭以上、街中を自由に歩き回っているという現実もある。
一時帰宅した人達から「牛に家を荒らされた」「牛が町を汚している」といった苦情が各町役場に寄せられていることもあり、自治体は牛たちを特定の場所に囲い込み管理する方針を出し始めているという。
しかし、吉沢さんは、囲い込みの目的が牛たちの保護のためなのか、自治体が牛たちにエサや水を与え命を守っていくのか、しっかり見ていく必要があると語る。
牛たちの命を守るには、お金も人も必要であり、政府の方針が”殺処分”である現状では、苦情対策として牛たちを特定の場所に集めたとしても、命をつなぐための予算や人がどこからでるのか。。。
予算がなければ牛たちにエサを与えることができない、エサがなければ牛たちは餓死してしまう・・・
結果的に、餓死させるための囲い込みになる危険性がある。
そして、原発20km圏内へのメディアの立ち入りが制限されていることについて、
「政府は20km圏内・警戒区域内の現実を隠そうと思っているのではないか。
これでは20km圏内でもしも悲惨なことが起こっても、国民に現実が伝わらない」
と強い危機感を抱いている。
”牛たちの命を無意味に奪うのではなく、動物の被曝研究、除染研究の目的で生かす”という希望の牧場プロジェクトは、まだまだ政府や自治体に認められておらず、予断を許さない状況が続いている。
しかし、大学や研究機関での研究、調査も徐々に結果を出し始めている、警戒区域内の農家にもプロジェクトへの参加を呼びかけ、少しでも多くの牛たちの命を守りたい。これは牛屋の意地の問題だ、がんばりぬく。
と吉沢さんの表情は力強い。
●希望の牧場 吉沢正己牧場長 渋谷ハチ公前アピール
福島で生きづつける吉沢さんの思い、少し長文ですがぜひお読みください。
※お話の内容が変わらない範囲で、一部編集しております。予めご了承ください。
==========
◯農家は逃げざるを得なかった
福島原発爆発放射能漏れ事故から七ヵ月が経ちました。
私は福島原発から14km地点の福島県浪江町で、330頭の牛を今も飼っています。
3月11日の大地震、大津波、そして12日からはじまる信じがたい原発の爆発事故を間近でこの目で見ながら、牛を守るために逃げるわけにはいかないと、停電の中で一週間被曝し続けました。
国や県、東電からの情報が一切無く、SPEEDIの情報が隠される中、浪江町の大勢の人が避難した津島という場所に、あの3月15日に大量の放射性物質を帯びた雪や雨が降りました。
大勢の方が被曝しながら、命からがらに二本松に逃げ出す。。。それがあの時の浪江町の状態でした。
近所の大勢の酪農家たちは、停電の中で水もエサも与えられない、原発からの放射能は猛烈に降り注いでくる。。。
そんな大混乱の中で、事故から数日のうちに搾乳牛すべてを諦め、逃げざるを得ませんでした。
牛たちを飼っていた大勢の農家のみなさんの無念の気持ちは、今も私の気持ちを奮い立たせます。
◯べこ屋の意地
私は浪江町で今なお330頭の牛を育てております。
被曝してしまい商品価値はまったくありません。
しかし、私は自分の作った牛舎の中で200頭300頭の牛を餓死させるわけにはいかない。
べこ屋の意地、畜産農家の意地の問題として、被曝覚悟でエサやりや水くれを続けて参りました。
私の体内からは、ホールボディカウンター検査で放射性セシウム134が3100ベクレル、セシウム137が3500ベクレル検出されました。
高線量の被曝をしながらもがんばってきたのは、牛屋として自分の牛を守るためにどうしても逃げるわけにはいかないという、強い思いからです。
その気持ちは今も変わりません。
◯国の方針は殺処分
今、希望の牧場の330頭の牛や、双葉郡内に残る1000頭を超える牛に対する国の方針は、殺処分であります。
多くの牛が豚がニワトリが、水もエサも無く死に果て干からびてミイラのようになっている。まさに地獄の様であります。
誰のせいでこんな風になってしまったのか?
東京電力の原発の爆発放射能漏れの大事故のせいです。
福島の大地を汚し、そして福島県の農家がみんなが苦しんでいます。
野菜を作っても、米を作っても、果物をつくっても
商売になりません。
福島県産の米は今年販売できるでしょうか、農家みんなが心配しています。
◯福島への差別
二本松でも、とうとうセシウムがでてしまいました。
そして今、福島県民みんなが困っているのは、差別にも近い風評被害の中で
福島県はいらない
福島県は放射能のバイキンだ
こういうような差別が起きている問題だと思います。
福島県は、東京、関東のために50年間電気を作ってきたんです。
水力発電所、火力発電所、原子力発電所10基、みんな東京のみなさんが使っている電気のためなんです。
その電気を作ってきた福島県が今、差別を受け苦しんでいる。
放射能汚染に苦しんでいる。
私は農家として、福島県のみんなの気持ちを東京で訴えたいと演説を続けています。
◯被曝した牛たちは浪江町の希望になれる
福島県浪江町で330頭の牛は、今なお元気よく生きております。
たくさんの子牛たちも生まれました。
しかし被曝をして、売り物にはなりません。
この牛たちの新しい意味を、今わたしたちは訴えている所であります。
被曝して肉牛として売り物にはならないけれど、
全国の大学研究機関に呼びかけをして、
牛たちの被曝影響調査、牛たちの除染の研究調査をはじめて、成果がでてきております。
絶望的な浪江町の中でも、今後福島県の復興に役立つ被曝影響調査の確かな足がかりが、私の牧場では始まった所であります。
いま福島県200万人の県民は、放射能の影響調査ということで甲状腺やホールボディカウンター、尿検査、全員を検査することが始まっています。
若いお母さんたち、子供たちはどんどん福島県を離れ、人口は200万人を切りどんどん減ってきています。
食べ物心配も大きいと思います。心配だからこそ、しっかり調査をする、牛たちの体内のセシウム、ストロンチウム、様々な放射能の影響を徹底的にしっかり調べることが、食の安全にとって大事なことだと思います。
私の牧場の牛たちは、被曝した生き物として貴重なデータを提供することができると思います。だから私は希望だと思うんです。
◯絶望的な浪江町で戦う
逃げて、精神的に折れ曲がったままで良いのか、
仮設住宅で避難所で人生を終えて良いのか。。。
私たちは浪江町で戦うしかない、
逃げない、どんなに絶望的であっても、逃げてどうするんだ。
避難所で仮設住宅で人生終わってどうするんだ。
復興のために、明日の福島浪江のためにどうするんだ。
それを私は問いたいと思います。
福島県の農家の声を私は伝えたいと思います。
絶望的な浪江町の状況、放射能で汚染され、海の近くは津波で破壊され、
復興の”ふ”の字もありません。
だからといって絶望をし、人間的に生きる道がなくなって良いのか?
そういうふうに私は思うのです。
どうぞみなさん、福島県のみんなのことを考えてください、想像してください。
私たちは300頭の牛たちを、被曝研究のために立派に活かし抜いていきたいと思います。
◯生きる意味を考える
もし原発の事故が起こればどうなるか?考えようじゃありませんか。
もう一度福島と同じような事故が起これば、日本はおしまいです。
原発の電気にどっぷりと頼るような、そういう世の中から方向転換する時期がやってきたように思うんです。
放射能の問題は、福島県ばかりでなく、あちらこちらに広がってきています。
みなさん考えてください、みんなで日本の未来、この大震災、大津波、原発事故から見えることは、人間の生きる意味、私たちは何のために生きるのか一緒に考えようじゃありませんか。
私の牧場の300頭の被曝した牛の生きる意味
これからも考えていきたいと思います。
逃げてくじけて倒れて、なんでこれで復興と言えるのか、
と私は浪江町で日々考えております。
どんなに放射能に被曝しようと、どんなに浪江町が絶望的な状況でも、負けるわけにはいかない。
東京電力に対し国に対し、その責任を明らかに、その償いを断固として求めながら、自分の力で浪江町の放射能汚染の現場を除染のためにがんばっていきたいと思います。
決して他人ごとではない、原発事故の大きな被害の中から、みんなで考える時がきたのだと思います。
どうかよろしくお願いをいたします。
==========
●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介
10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!
以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。
「希望の牧場」サポーター基金について詳しくはこちら
「希望の牧場」オフィシャルブログ
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by nekotoru
| 2011-10-25 12:01
| 福島 動物
福島を想うアーティストたち「チャリティ アート&クラフト マーケット」in横浜
10月22日(土)23日(日)の2日間、横浜山下公園近くのインペリアルギャラリーで、横浜や大阪で活動するアーティスト8名が『チャリティ アート&クラフトマーケット』を開催。
アクセサリー、布小物、イラスト入りポストカードなど、キレイ&カワイイ、そしてハイクオリティーなアイテムの展示販売を行なっています。
3月に起こった東日本大震災の被害の大きさに「少しでも助けになれば」。発起人のYeccoさんの呼びかけにアーティスト仲間が集まり企画、開催されたチャリティマーケット、売上金の一部は義援金として福島県に送られます。
参加アーティストのタレンさん、有田コロさん、Yeccoさん
==========
僕は、参加アーティストのひとり有田コロさんとツイッターで仲良くしていただいているのがご縁で、22日(土)に遊びに行って来ました♪
有田さんは、ハムスターのハムヲくんのポストカードを展示販売されています!
ポストカードの他にも、アクセサリーやら小物やら、かわいいものが多かったので気づくと色々買っていました。。。
会場は、とても味のあるオシャレな古いビル(インペリアルビル)の1F
アイテムが展示されているギャラリーは、おしゃれな雑貨屋さんそのもの♪という感じの素敵な空間でしたよ♪
キレイ&カワイイ アーティストのお姉さんたちが気さくに迎えてくれます。
お近くの方は、ぜひ足を運んでください。
ネックレスが500円~、ポストカードが4枚300円、などなど100円~2000円のとても買いやすい価格で、素敵でハイクオリティーなアイテムが買えますよ~、ぜひ♪
「今回は東日本大震災で甚大な被害を受けた、福島県への寄付を目的としています。 私も過去に福島に3年半ほど住んでいました。少しでも力になればと思っていますので、是非よろしくお願いいたします。」(有田さんのブログより転載)
□イベント概要
『チャリティ アート&クラフト マーケット』
日時
10月22日(土)11:00~17:00
10月23日(日)11:00~16:00
場所
インペリアルギャラリー
横浜市中区山下町25(県民ホールの真裏です)
みなとみらい線日本大通り駅3番出口(情文センター口)より徒歩約5分
みなとみらい線元町中華街駅1番出口(山下公園口)より徒歩約5分
バス停「大桟橋」より徒歩約3分
JR関内駅より徒歩約15分
参加アーティスト
G-Craft(カラー革を使ったフラワーモチーフアクセサリー)
air(ビーズ等を使ったアクセサリー)
Me*Me(バック等布小物&ニット小物)
topf(布小物&アクセサリー)
Ivy(ミニリース等)
Yecco(フェルト小物)
Oslo and Alfred(イラスト、ポストカード等)
有田コロ(ポストカード等)
□地図
□色々写真を撮らせていただきまいた。。。猫好きさんには下から二番目のアイテムがおすすめ♪
アクセサリー、布小物、イラスト入りポストカードなど、キレイ&カワイイ、そしてハイクオリティーなアイテムの展示販売を行なっています。
3月に起こった東日本大震災の被害の大きさに「少しでも助けになれば」。発起人のYeccoさんの呼びかけにアーティスト仲間が集まり企画、開催されたチャリティマーケット、売上金の一部は義援金として福島県に送られます。
参加アーティストのタレンさん、有田コロさん、Yeccoさん
==========
僕は、参加アーティストのひとり有田コロさんとツイッターで仲良くしていただいているのがご縁で、22日(土)に遊びに行って来ました♪
有田さんは、ハムスターのハムヲくんのポストカードを展示販売されています!
ポストカードの他にも、アクセサリーやら小物やら、かわいいものが多かったので気づくと色々買っていました。。。
会場は、とても味のあるオシャレな古いビル(インペリアルビル)の1F
アイテムが展示されているギャラリーは、おしゃれな雑貨屋さんそのもの♪という感じの素敵な空間でしたよ♪
キレイ&カワイイ アーティストのお姉さんたちが気さくに迎えてくれます。
お近くの方は、ぜひ足を運んでください。
ネックレスが500円~、ポストカードが4枚300円、などなど100円~2000円のとても買いやすい価格で、素敵でハイクオリティーなアイテムが買えますよ~、ぜひ♪
「今回は東日本大震災で甚大な被害を受けた、福島県への寄付を目的としています。 私も過去に福島に3年半ほど住んでいました。少しでも力になればと思っていますので、是非よろしくお願いいたします。」(有田さんのブログより転載)
□イベント概要
『チャリティ アート&クラフト マーケット』
日時
10月22日(土)11:00~17:00
10月23日(日)11:00~16:00
場所
インペリアルギャラリー
横浜市中区山下町25(県民ホールの真裏です)
みなとみらい線日本大通り駅3番出口(情文センター口)より徒歩約5分
みなとみらい線元町中華街駅1番出口(山下公園口)より徒歩約5分
バス停「大桟橋」より徒歩約3分
JR関内駅より徒歩約15分
参加アーティスト
G-Craft(カラー革を使ったフラワーモチーフアクセサリー)
air(ビーズ等を使ったアクセサリー)
Me*Me(バック等布小物&ニット小物)
topf(布小物&アクセサリー)
Ivy(ミニリース等)
Yecco(フェルト小物)
Oslo and Alfred(イラスト、ポストカード等)
有田コロ(ポストカード等)
□地図
□色々写真を撮らせていただきまいた。。。猫好きさんには下から二番目のアイテムがおすすめ♪
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by nekotoru
| 2011-10-23 01:31
| 福島 支援
東京電力さん、自主避難者は敵じゃないですよね。。。
10月18日(火)福島からの自主避難者と支援者らが東京電力を訪れ、政府の原子力賠償紛争審査会の結論に関係なく、東電の経営判断で一日も早く自主避難者に幅広く正当な賠償を行うことを明言すること、少なくとも避難費用を賄うため、仮払金を支払うことを決断することを要望した。
文科省への要請アクションに続いて東京電力を訪れたのは、福島から山形県米沢市へ自主避難している西片嘉奈子さん、同じく東京へ避難している杉本渉さん、自主避難者の支援を続けるフクロウの会代表の阪上武さん、FoE JAPAN理事の満田夏花さん、そして脱原発、被曝から国民を守れと叫び続ける俳優の山本太郎さんと各地から集まった支援者約15名。
▽要望書を手渡す西片さん
●東京電力には仮払い金を払う意志がない
東京電力 福島原子力被災者支援対策本部 福島原子力補償相談室の橘田部長は、
「原発事故から7ヶ月以上が経過し収束に向かっているが、放射性物質の流出がきちっと止まっていない状態が続いており、誠に申し訳ございません。」
と深々と頭を下げた。
FoE JAPANの満田さん
「8月にも自主避難者や弁護士達と東京電力を訪れ411件の領収証を提出した。
対応者より、自主的避難者への賠償は原賠審で議論中であるが、東京電力としても誠意を持って検討するとの言葉があった。
しかし、請求書を提出した方は、東電より第一回の支払いでは賠償金を支払わないという通知を受け取った。
事故から7ヶ月が経過し、自主避難者の中には経済的に困窮してきている人もいる。
原賠審の結論、中間指針を待っていたのでは、こうした人達は救われない。
東京電力として支払う決断をすれば、すぐにでも支払えるものとの弁護士の見解もある。どう考えているのか」
これに対し、東電の橘田部長
「自主的避難者への賠償は、原賠審の指針が出てから、それに沿った形で行う。
指針に明記されていない部分は、相当因果関係が確認されれば賠償する」
「現時点では、仮払いはする考えはない」
と、東京電力の責任、意志での賠償や仮払い金の支払を否定した。
自主避難者の杉本さん
「仮払いをしないのは、制度的な制約があってできないのか、あるいは東電の経営判断があればできるのか?」
に対し、
「仮払いを行う行わないは、会社が決定できること」
と東電が仮払い金を払う意志がないことを橘田部長は明言した。
フクロウの会の阪上さん
「これまでの東電の対応を見ると、自主避難者への賠償が払われないと感じている人が多い。東電として賠償、仮払い金を払う姿勢を早急に示して欲しい」
しかし、この後の議論の中でも、再三の自主避難者らの一刻も早い仮払い、賠償の要請に対し、
「原賠審の指針を待ってから、指針に沿って検討する」との繰り返すのみであった。
▽FoE JAPAN 満田さん
▽フクロウの会 阪上さん
▽東電社員に語りかける山本太郎さん
●山本太郎さんの熱い言葉にも。。。
山本太郎さん
「東電の利益を追求してきた結果、事故が起こりたくさんの人が被害を受けている。
にも関わらず、自分たちはボーナスをもらいながら、一方で賠償や仮払い金が支払われていない。誰が見てもおかしい状況。
指針を待ってとか時間稼ぎをしている間にも、子供たちは被曝している。
将来健康被害がでても因果関係が認められない・・・
そんなことになったら、どんな世の中になるんでしょうか。
企業の中もトップダウンばかりではないはず、人間として今の状況を変えなければならないと思うなら、自身の中で会社の中で戦ってください。子供たちの命がかかっているんだから、責任ある人間として戦ってください。」
という言葉にも、何も返答できず。。。目は泳ぎ気味。。。
確かにあの場にでてきた部長さんには、決定権はなく自分の考えを自由に話せるものでもないのかもしれません。。。それが企業なのかもしれません。。。
しかし、会社としてどういった方針を出すかはわからなくても、自分たちの会社が迷惑をかけてしまった人に、寄り添う言葉や態度があってもいいように感じました。。。
とはいえ彼らを擁護するわけではありませんが、会議室の外にも複数の東電社員が立っており、自主避難者達も対応にあたった社員も監視されているかのような状態では、自由に発言できないのかもしれませんが。。。
▽ドアは開きっぱなし、廊下にも東電社員が・・・
▽東京電力
▽自主避難者の西片さん(左)と杉本さん(右)
●東京電力、敵を迎え撃つ?
それから時系列が逆になってしまいましたが、会議室に案内される際に感じたことを書き留めておきます。
この日は東電の別館(東新ビル)の奥まった会議室で要望書の提出および質疑が行われました。
玄関を入ると5名以上の怖い顔の東電社員がお出迎え。
薄暗い廊下の角ごと、また1~2名の怖い顔の東電社員が立っている・・・
廊下を2回か3回曲がったので、会議室に到着するまでに10人くらいの東電社員がいたのでしょうか・・・明らかに異様です。
これでは、お客様をお迎えしているのではなく、どう見ても敵を迎え撃つという方がぴったりの雰囲気。
あまりの異様さに、あの場にいた東電の社員の心のなかを覗きたくなりました。
彼らは、一体どのような気持ちで”自主避難者”たちを迎えたのでしょうか?
「東電さん、自主避難者はあなたたちの敵ではないですよね」と思いました。
▽杉本さん
●福島市御山町から東京へ避難中の杉本渉さん
東電との会合終了後、自主避難者の杉本さんは、
「仮払いは会社の経営判断でできると、東電は言っていた。
にも関わらず、仮払いをしない東電に失望している。」と話した。
杉本さんは、福島市御山町から東京築地のホテルに自主避難をしている。
現在33歳で、避難する前は福島市内で酒店を経営していた。
人あたりの柔らかい、人懐っこさを感じさせる優しい好青年という印象。
現在は、東京都を通じて住居費、食費の支援金の給付を受けているが、
「支援金は、これだけで生活するには正直なところ金額が少ない。
今は、自分の貯金を切り崩しながら生活をしている。
この制度は、ある程度貯金のある人にしか利用できないものだと思います。」
と、自治体の避難者への支援の仕組みが充分ではないと訴える。
3月の原発事故以降、山形、新潟、そして東京と避難先を変えながら、すでに7ヶ月が経過し「経済的には非常に苦しい、仮払金としてまとまった金額が支給されれば・・・」と、正直な気持ちを語ってくれました。
原発事故の影響で避難を余儀なくされたのに、
自分たちに責任はなにのに、
賠償がされないために普通に生活するのも難しい。
そして、福島にはいまだ高い放射線量の中、避難を希望しながらも
金銭的な理由で避難できない人達もたくさんいる。
「自分達が求めているのは、当たり前の権利ですよね?」
と、少し悲しそうに微笑んだ杉本さんの表情が忘れられません。
文科省への要請アクションに続いて東京電力を訪れたのは、福島から山形県米沢市へ自主避難している西片嘉奈子さん、同じく東京へ避難している杉本渉さん、自主避難者の支援を続けるフクロウの会代表の阪上武さん、FoE JAPAN理事の満田夏花さん、そして脱原発、被曝から国民を守れと叫び続ける俳優の山本太郎さんと各地から集まった支援者約15名。
▽要望書を手渡す西片さん
●東京電力には仮払い金を払う意志がない
東京電力 福島原子力被災者支援対策本部 福島原子力補償相談室の橘田部長は、
「原発事故から7ヶ月以上が経過し収束に向かっているが、放射性物質の流出がきちっと止まっていない状態が続いており、誠に申し訳ございません。」
と深々と頭を下げた。
FoE JAPANの満田さん
「8月にも自主避難者や弁護士達と東京電力を訪れ411件の領収証を提出した。
対応者より、自主的避難者への賠償は原賠審で議論中であるが、東京電力としても誠意を持って検討するとの言葉があった。
しかし、請求書を提出した方は、東電より第一回の支払いでは賠償金を支払わないという通知を受け取った。
事故から7ヶ月が経過し、自主避難者の中には経済的に困窮してきている人もいる。
原賠審の結論、中間指針を待っていたのでは、こうした人達は救われない。
東京電力として支払う決断をすれば、すぐにでも支払えるものとの弁護士の見解もある。どう考えているのか」
これに対し、東電の橘田部長
「自主的避難者への賠償は、原賠審の指針が出てから、それに沿った形で行う。
指針に明記されていない部分は、相当因果関係が確認されれば賠償する」
「現時点では、仮払いはする考えはない」
と、東京電力の責任、意志での賠償や仮払い金の支払を否定した。
自主避難者の杉本さん
「仮払いをしないのは、制度的な制約があってできないのか、あるいは東電の経営判断があればできるのか?」
に対し、
「仮払いを行う行わないは、会社が決定できること」
と東電が仮払い金を払う意志がないことを橘田部長は明言した。
フクロウの会の阪上さん
「これまでの東電の対応を見ると、自主避難者への賠償が払われないと感じている人が多い。東電として賠償、仮払い金を払う姿勢を早急に示して欲しい」
しかし、この後の議論の中でも、再三の自主避難者らの一刻も早い仮払い、賠償の要請に対し、
「原賠審の指針を待ってから、指針に沿って検討する」との繰り返すのみであった。
▽FoE JAPAN 満田さん
▽フクロウの会 阪上さん
▽東電社員に語りかける山本太郎さん
●山本太郎さんの熱い言葉にも。。。
山本太郎さん
「東電の利益を追求してきた結果、事故が起こりたくさんの人が被害を受けている。
にも関わらず、自分たちはボーナスをもらいながら、一方で賠償や仮払い金が支払われていない。誰が見てもおかしい状況。
指針を待ってとか時間稼ぎをしている間にも、子供たちは被曝している。
将来健康被害がでても因果関係が認められない・・・
そんなことになったら、どんな世の中になるんでしょうか。
企業の中もトップダウンばかりではないはず、人間として今の状況を変えなければならないと思うなら、自身の中で会社の中で戦ってください。子供たちの命がかかっているんだから、責任ある人間として戦ってください。」
という言葉にも、何も返答できず。。。目は泳ぎ気味。。。
確かにあの場にでてきた部長さんには、決定権はなく自分の考えを自由に話せるものでもないのかもしれません。。。それが企業なのかもしれません。。。
しかし、会社としてどういった方針を出すかはわからなくても、自分たちの会社が迷惑をかけてしまった人に、寄り添う言葉や態度があってもいいように感じました。。。
とはいえ彼らを擁護するわけではありませんが、会議室の外にも複数の東電社員が立っており、自主避難者達も対応にあたった社員も監視されているかのような状態では、自由に発言できないのかもしれませんが。。。
▽ドアは開きっぱなし、廊下にも東電社員が・・・
▽東京電力
▽自主避難者の西片さん(左)と杉本さん(右)
●東京電力、敵を迎え撃つ?
それから時系列が逆になってしまいましたが、会議室に案内される際に感じたことを書き留めておきます。
この日は東電の別館(東新ビル)の奥まった会議室で要望書の提出および質疑が行われました。
玄関を入ると5名以上の怖い顔の東電社員がお出迎え。
薄暗い廊下の角ごと、また1~2名の怖い顔の東電社員が立っている・・・
廊下を2回か3回曲がったので、会議室に到着するまでに10人くらいの東電社員がいたのでしょうか・・・明らかに異様です。
これでは、お客様をお迎えしているのではなく、どう見ても敵を迎え撃つという方がぴったりの雰囲気。
あまりの異様さに、あの場にいた東電の社員の心のなかを覗きたくなりました。
彼らは、一体どのような気持ちで”自主避難者”たちを迎えたのでしょうか?
「東電さん、自主避難者はあなたたちの敵ではないですよね」と思いました。
▽杉本さん
●福島市御山町から東京へ避難中の杉本渉さん
東電との会合終了後、自主避難者の杉本さんは、
「仮払いは会社の経営判断でできると、東電は言っていた。
にも関わらず、仮払いをしない東電に失望している。」と話した。
杉本さんは、福島市御山町から東京築地のホテルに自主避難をしている。
現在33歳で、避難する前は福島市内で酒店を経営していた。
人あたりの柔らかい、人懐っこさを感じさせる優しい好青年という印象。
現在は、東京都を通じて住居費、食費の支援金の給付を受けているが、
「支援金は、これだけで生活するには正直なところ金額が少ない。
今は、自分の貯金を切り崩しながら生活をしている。
この制度は、ある程度貯金のある人にしか利用できないものだと思います。」
と、自治体の避難者への支援の仕組みが充分ではないと訴える。
3月の原発事故以降、山形、新潟、そして東京と避難先を変えながら、すでに7ヶ月が経過し「経済的には非常に苦しい、仮払金としてまとまった金額が支給されれば・・・」と、正直な気持ちを語ってくれました。
原発事故の影響で避難を余儀なくされたのに、
自分たちに責任はなにのに、
賠償がされないために普通に生活するのも難しい。
そして、福島にはいまだ高い放射線量の中、避難を希望しながらも
金銭的な理由で避難できない人達もたくさんいる。
「自分達が求めているのは、当たり前の権利ですよね?」
と、少し悲しそうに微笑んだ杉本さんの表情が忘れられません。
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by nekotoru
| 2011-10-20 05:16
| 福島 避難
「命とお金を天秤には掛けられない」自主避難中の戦う母が文科省へ!山本太郎さんも駆けつける!
10月18日(火)福島からの自主避難者と支援者らが原子力損害賠償紛争審査会を所管する文部科学省を訪れ、自主避難者への賠償を幅広く認めるよう要請を行いました。
この日文科省を訪れたのは、福島から山形県米沢市へ自主避難した西片嘉奈子さん、
自主避難者の支援を続けるフクロウの会代表の阪上武さん、FoE JAPAN理事の満田夏花さん、そして脱原発、被曝から国民を守れと叫び続ける俳優の山本太郎さんと各地から集まった支援者約15名。
●これまでの経緯~4月22日問題~
前回9月21日に開かれた原子力損害賠償紛争審査会(第14回)の議論の一部をラフに要約しますと・・・
※言葉遣いは著者による脚色です、予めご了承ください。
原子力損害賠償紛争審査会(以下、原賠審)
4月22日より前に避難した人は、避難の時の交通費も避難先の家賃も出しますよ。
でも、4月22日より後に避難した人には、どうしようかな・・・ちょっと考えるね・・・
自主避難者
えっ、4月22日って何?
原賠審
4月22日は、政府が原発から20km圏外で年20ミリシーベルト以上被曝しそうな地域を、計画的避難区域にした日だよ。
だから、避難区域にならなかった所は、避難しなくても大丈夫って政府が決めた日だよ。
自主避難者
えっ、決めたって言われても、20ミリシーベルトの基準って高すぎるし、そもそも前は年1ミリが基準だったじゃん・・・だから、10とか5でもすごい不安(-_-;)
それに、原発から毎日たくさんフレッシュな放射能が出てたよね。
だらか、「避難区域以外は安全です」って一方的に言われても、4月22日の前後で何も状況が変わってないし、???なんだよね。
それに、官僚さんや、東電の社員さんみたいにみんなお金をいっぱい持ってるわけじゃないし、避難先がすぐ見つかるわけじゃなし、仕事だってほっぽり出すわけにいかないし、家族と話し合う必要だってあるから、避難しようと決めたって色々事情があって、すぐに避難できるわけじゃないんだよ。
だから、後からいきなり4月22日とか言われても困るんだよね。
原賠審
そんなの知らないよ。
自主避難者
知らないじゃなくて、ちゃんとみんなの話を聞いて、実情を知ってから色々決めてよ。
原賠審
検討します。
自主避難者
たっ、たのむよ
※実際には、このようなラフな言葉遣いはされておりません。あくまでも当ブログ上での脚色です。
そして、上記のような原賠審(第14回)を踏まえて行われた、10月3日の政府交渉で自主避難者から原子力損害賠償対策室に下記の要望が出されました。
・当事者の声を聞く公聴会等を、複数回開いて欲しい。
・4月22日とか20ミリシーベルトとかで、賠償範囲をすごく狭めようとするのはやめて、事故前の公衆の被曝限度の年1ミリシーベルト以上の地域からの自主的避難は広く補償の対象にして欲しい。
そしてそして、次回原賠審(第15回)で自主避難者2名が委員の前で意見を言うことができるように!
要望がほんの一部ですが、認められました!
そして更に押せ押せ!ということで、この日の原子力損害賠償対策室への要望書提出アクションが行われました。
●自主避難者たちの声
この日、西片さんから原子力損害賠償対策室の新岡輝正係長に、「自主避難者・避難希望者の声を聞き、幅広い賠償を」という要望とフクロウの会とFoE JAPANが集めた自主避難者の声185名分が手渡されました。
自主避難者の声を一部転載します。
読んでいて涙が溢れてきます・・・この方たちの心が少しでも救われるような、対応を政府や東電にはとって欲しい。
そうでなければ、僕はもうこの国を信じられない・・・
『私達は、福島第1原子力発電所の事故がなければ、福島を離れることはありませんでした。人それぞれ、愛する人達を守る方法にやり方はあると思います。
どうか私達「自主避難者」と呼ばれる者が、断腸の思いで選んだやり方を、愛する人達を守る正当な方法であることを理解して下さい。』
『小さな山を一つ越えると、避難区域です。そんな場所に小さい子供を住ませることはできません。親として子供を守るのは当然です。』
『自主避難を否定することは、幼い命を摘み取っているのと同じです。逃げたいけれど、張り巡らされた安全キャンペーンにしばられ、こどもにスマナイと自分を責める親の心。逃げたけれど、補償も未来もみえずに不安な日々。』
□FoE JAPANさん作成のPDFにて、全文をお読み頂けます。
自主避難者の声(抜粋)
自主避難者の声(全文)
●命とお金を天秤には掛けられない
小学生二人の母親である西片さんは、要望書を手渡した後、新岡係長に向って溢れる言葉を投げかけた。
「自分がその立場に立ったらどうだろうかと考えて欲しい。
自主避難をしている人達は、お金があるから避難している、避難できたのではない・・・子どもの命と健康を考えた時に、命とお金を天秤に掛けてはいけないという思いが強くあり、母子家庭でお金はなかったが避難を決断した。
お金がないけど避難した人も、お金がなくて避難に踏み切れない人も、たくさんいる。
そういう人達の心に寄り添って欲しい。」
子供たちをみんなを守る!戦い抜くという強い決意と優しさが伝わってきた。
●山本太郎さん「目の前のお金ではなく、国民の命を守ってほしい」
山本太郎さん
「求めているのは当然の権利、生きていくための当たり前の権利。
それを守れない国や役所はいらない。
震災からすでに7ヶ月以上たっている、その間にもみんな被曝し続けている。
お金ではなく、国民の命を守るということを考えて欲しい。
命を守らなければ、国は成り立たない。
目の前のお金を考えるから今のような政策になる。
そうではなく、まず命を守ってからの経済という順番で考えて欲しい。
命を守ってくれない国に、みんな税金を払ってもいいのかと思うのではないか?
福島の人や市民団体がここにきてお願いすること自体がおかしい
本来は国や役所が先回りして国民を助けるべき
ちゃんと仕事をして欲しい」
新岡係長
「いただいた意見や要望はしっかり受け止めます。
いただいた要望や意見を踏まえて、自主避難や除染についてもできるだけ早く検討していきたいと思います。」
そして、FoE JAPAN満田さんの
「この要望書を原賠審の委員の方々に渡して欲しい」
との要望に
「わかりました」と新岡さん
この新岡さんは悪い人ではないように見えた。
きっと、西片さんや太郎さんの言葉が胸に響いていると思う。(そうであって欲しい)
当事者の声、同じ場所にいるから伝わる熱、感じられる空気
そういったものは、人の心を動かす力になるものだと思う。
だからこそ、物事を決める権限のある人たちに、当事者の声が届けることがとても大切だと思う。
とにかく、次回原賠審(第15回)において福島の当事者が意見をのべることができるようになったのは、一歩前進!
福島の人達の思いが原賠審の委員の方々に届いて欲しい。
この日文科省を訪れたのは、福島から山形県米沢市へ自主避難した西片嘉奈子さん、
自主避難者の支援を続けるフクロウの会代表の阪上武さん、FoE JAPAN理事の満田夏花さん、そして脱原発、被曝から国民を守れと叫び続ける俳優の山本太郎さんと各地から集まった支援者約15名。
●これまでの経緯~4月22日問題~
前回9月21日に開かれた原子力損害賠償紛争審査会(第14回)の議論の一部をラフに要約しますと・・・
※言葉遣いは著者による脚色です、予めご了承ください。
原子力損害賠償紛争審査会(以下、原賠審)
4月22日より前に避難した人は、避難の時の交通費も避難先の家賃も出しますよ。
でも、4月22日より後に避難した人には、どうしようかな・・・ちょっと考えるね・・・
自主避難者
えっ、4月22日って何?
原賠審
4月22日は、政府が原発から20km圏外で年20ミリシーベルト以上被曝しそうな地域を、計画的避難区域にした日だよ。
だから、避難区域にならなかった所は、避難しなくても大丈夫って政府が決めた日だよ。
自主避難者
えっ、決めたって言われても、20ミリシーベルトの基準って高すぎるし、そもそも前は年1ミリが基準だったじゃん・・・だから、10とか5でもすごい不安(-_-;)
それに、原発から毎日たくさんフレッシュな放射能が出てたよね。
だらか、「避難区域以外は安全です」って一方的に言われても、4月22日の前後で何も状況が変わってないし、???なんだよね。
それに、官僚さんや、東電の社員さんみたいにみんなお金をいっぱい持ってるわけじゃないし、避難先がすぐ見つかるわけじゃなし、仕事だってほっぽり出すわけにいかないし、家族と話し合う必要だってあるから、避難しようと決めたって色々事情があって、すぐに避難できるわけじゃないんだよ。
だから、後からいきなり4月22日とか言われても困るんだよね。
原賠審
そんなの知らないよ。
自主避難者
知らないじゃなくて、ちゃんとみんなの話を聞いて、実情を知ってから色々決めてよ。
原賠審
検討します。
自主避難者
たっ、たのむよ
※実際には、このようなラフな言葉遣いはされておりません。あくまでも当ブログ上での脚色です。
そして、上記のような原賠審(第14回)を踏まえて行われた、10月3日の政府交渉で自主避難者から原子力損害賠償対策室に下記の要望が出されました。
・当事者の声を聞く公聴会等を、複数回開いて欲しい。
・4月22日とか20ミリシーベルトとかで、賠償範囲をすごく狭めようとするのはやめて、事故前の公衆の被曝限度の年1ミリシーベルト以上の地域からの自主的避難は広く補償の対象にして欲しい。
そしてそして、次回原賠審(第15回)で自主避難者2名が委員の前で意見を言うことができるように!
要望がほんの一部ですが、認められました!
そして更に押せ押せ!ということで、この日の原子力損害賠償対策室への要望書提出アクションが行われました。
●自主避難者たちの声
この日、西片さんから原子力損害賠償対策室の新岡輝正係長に、「自主避難者・避難希望者の声を聞き、幅広い賠償を」という要望とフクロウの会とFoE JAPANが集めた自主避難者の声185名分が手渡されました。
自主避難者の声を一部転載します。
読んでいて涙が溢れてきます・・・この方たちの心が少しでも救われるような、対応を政府や東電にはとって欲しい。
そうでなければ、僕はもうこの国を信じられない・・・
『私達は、福島第1原子力発電所の事故がなければ、福島を離れることはありませんでした。人それぞれ、愛する人達を守る方法にやり方はあると思います。
どうか私達「自主避難者」と呼ばれる者が、断腸の思いで選んだやり方を、愛する人達を守る正当な方法であることを理解して下さい。』
『小さな山を一つ越えると、避難区域です。そんな場所に小さい子供を住ませることはできません。親として子供を守るのは当然です。』
『自主避難を否定することは、幼い命を摘み取っているのと同じです。逃げたいけれど、張り巡らされた安全キャンペーンにしばられ、こどもにスマナイと自分を責める親の心。逃げたけれど、補償も未来もみえずに不安な日々。』
□FoE JAPANさん作成のPDFにて、全文をお読み頂けます。
自主避難者の声(抜粋)
自主避難者の声(全文)
●命とお金を天秤には掛けられない
小学生二人の母親である西片さんは、要望書を手渡した後、新岡係長に向って溢れる言葉を投げかけた。
「自分がその立場に立ったらどうだろうかと考えて欲しい。
自主避難をしている人達は、お金があるから避難している、避難できたのではない・・・子どもの命と健康を考えた時に、命とお金を天秤に掛けてはいけないという思いが強くあり、母子家庭でお金はなかったが避難を決断した。
お金がないけど避難した人も、お金がなくて避難に踏み切れない人も、たくさんいる。
そういう人達の心に寄り添って欲しい。」
子供たちをみんなを守る!戦い抜くという強い決意と優しさが伝わってきた。
●山本太郎さん「目の前のお金ではなく、国民の命を守ってほしい」
山本太郎さん
「求めているのは当然の権利、生きていくための当たり前の権利。
それを守れない国や役所はいらない。
震災からすでに7ヶ月以上たっている、その間にもみんな被曝し続けている。
お金ではなく、国民の命を守るということを考えて欲しい。
命を守らなければ、国は成り立たない。
目の前のお金を考えるから今のような政策になる。
そうではなく、まず命を守ってからの経済という順番で考えて欲しい。
命を守ってくれない国に、みんな税金を払ってもいいのかと思うのではないか?
福島の人や市民団体がここにきてお願いすること自体がおかしい
本来は国や役所が先回りして国民を助けるべき
ちゃんと仕事をして欲しい」
新岡係長
「いただいた意見や要望はしっかり受け止めます。
いただいた要望や意見を踏まえて、自主避難や除染についてもできるだけ早く検討していきたいと思います。」
そして、FoE JAPAN満田さんの
「この要望書を原賠審の委員の方々に渡して欲しい」
との要望に
「わかりました」と新岡さん
この新岡さんは悪い人ではないように見えた。
きっと、西片さんや太郎さんの言葉が胸に響いていると思う。(そうであって欲しい)
当事者の声、同じ場所にいるから伝わる熱、感じられる空気
そういったものは、人の心を動かす力になるものだと思う。
だからこそ、物事を決める権限のある人たちに、当事者の声が届けることがとても大切だと思う。
とにかく、次回原賠審(第15回)において福島の当事者が意見をのべることができるようになったのは、一歩前進!
福島の人達の思いが原賠審の委員の方々に届いて欲しい。
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by nekotoru
| 2011-10-19 22:16
| 福島 避難
牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.2 ~高邑議員編~
10月9日(日)東京麹町で「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見(自由報道協会主催)が行われた。
Vol.1の吉沢さんに続き、今回は高邑勉議員のお話をお伝えいたします。
□記者会見の概要
会見者
「希望の牧場」アドバイザー 高邑勉 衆議院議員
「希望の牧場」代表 エム牧場浪江農場農場長 吉沢正己氏
希望の牧場オフィシャルブログ
「希望の牧場」プロジェクトとは
※この部分は、Vol.1 吉沢さん編と同文です。既にお読みいただいた方は読み飛ばしてください。
4月22日、政府は福島第一原発の20km圏内を警戒区域に指定。
これにより区域内の住民は避難を余儀なくされ、人々の立ち入りが禁止された。
しかし、人のいない「死のまち」と化した警戒区域に、多くの動物達が取り残されていた。エサも水もない過酷な状況の中で餓死しミイラ化してしまった家畜も多くいる。
一方、生き残った家畜たちに対し政府は、5月12日に殺処分の決定を下した。
被曝し商品価値がゼロになった家畜は殺せ
そんな風にとれるこの決定に、警戒区域内にあるエム牧場浪江農場に通い300頭以上の牛たちにエサを与え命をつなぎ続けいていた、農場長の吉沢さんは納得がいかず「キレた」。
「牛たちを餓死させたくない、ただただ殺したくなかった」との思いで、
必死に生きている命の意味、命を守る道を探し始める。
そして、警戒区域内の家畜たちを放射能被曝の研究、調査の対象にすれば、今後の日本の復興のために、人々のために役立つ命として活かす道があるのではないか、という答えにたどり着いた。
無意味な餓死や殺処分ではなく、家畜たちの命を守りそして社会のために活かす。
それが「希望の牧場」プロジェクトです。
●1000頭以上の牛たちは今も生きている
4月22日に福島原発から20km圏内が警戒区域に指定され、人の立ち入りが禁止された。
福島県の発表では、区域内に牛約3500頭、豚約30000頭、鶏約68万羽、他にも馬100頭、羊、ヤギ、ダチョウなどの家畜、そして犬や猫もたくさんいた。
原発がどうなるかわからない状況の中、多くの農家たちは家畜を置いたまま避難した。
つながれたままの家畜たちは、餓死をしてしまったが、4月22日以前に野に放たれた家畜たちもたくさんいる。
農家の方たちは、家には戻れない、しかし家畜たちをつないだまま放置すれば餓死してしまう・・・そんな状況の中で苦渋の決断を強いられた。
警戒区域に30回入っている高邑議員は、
「私の感覚では、3500頭の牛のうち今も1000頭以上は生きています。」
と、今からでも守れる多くの命の存在を語る。
●農家さんたちの悲痛な訴え
民主党災害対策本部の福島県対策室に所属している高邑議員は、被災地である南相馬市に入り、現地で被災した農家の方々の訴えを聞いていた。
そんな中で、エム牧場さんの悲痛な思いを聞いた。
行政から立ち入りの許可がおりない中でも、警戒区域に立ち入って牛たちを守っていた。
5月12日に政府が安楽殺の処分を決めたが、
「応じられない、そんな簡単なものではない。家族同然に育ててきた牛たちを紙切れ一枚の指示で殺すことはできない。
埋葬することも許されず、牛たちの命を無意味に一方的に奪うことは牛飼いの誇りにかけてできない。」
他の農家の方たちからも「おらのベコが死んじまう、どうにかしてくれ」という悲鳴にも似た多くの訴えが寄せられていた。
●野馬追いの馬28頭、豚26頭を救う
警戒区域の指定がされて4月22日、相馬の野馬追の馬28頭が区域内に取り残されていた。
人の立ち入りが禁止され、区域内から区域外への動物の移動も禁止されてはいたが、
相馬地方にとって特別な存在であるこの馬たちを、なんとか救うことはできないのかという要望を受け官邸に掛け合い、市が管理するというルールのもと救出することができた。
続いて、3000頭くらいを飼っていた養豚業者からの
「これまで40年間、改良を重ねてきた豚たちは、自分の人生そのもの。
これを全て殺処分というのは、自分の人生を全て否定されるようなもの。
なんとか種の保存だけでもできないか」
という訴えを受け、農水省、政府に掛け合い、26頭だけを東京大学の牧場に移し救うことができた。
●動きの鈍い政府、動き始めた研究者
5月25日の研究者の連盟で総理官邸に”被災動物の保護、被災動物の研究する国立のセンター”の提言を出した。
この提言は政府からは「貴重な提言である」という前向きな答弁を引き出した。
しかし、現場が動かなかった。
一時帰宅、避難区域の見直し、原発の工程表で手一杯、所管の農水省も稲ワラでのセシウム汚染牛の問題があり、全頭殺処分という頑なな態度であった。
しかし、半年がたったここにきて、学者が現地に入り動き始めた。
現在は、学者と市町村が連携し牛の保護が進み、市町村の管理のもと牛の被曝の実態調査、牛からセシウムを除去する研究がはじまった。
●被災者が主役でなくてはならない
人間の手によって起こされた災害で、何の罪もない動物たちの命が一方的に奪われることはあってはならないと思う。
そして、その動物たちを飼っていた農家の方たちは、被災者である。
被災地では被災者の方たちが主役でなくてはならない。
被災者の方々の苦しみをどやって少なくしていくのか、
それを考えたら、被災者である農家が望まない殺処分、安楽殺をこれ以上すすめるべきでないと考えている。
そして、考えだしたのが「希望の牧場」プロジェクトである。
●牛たちを研究という目的で生かしきる
餓死、殺処分ではなく、今も被曝しながら生きている牛たちを研究という目的で生かしきるという道があってもいいのではないか。
エム牧場には、今も300頭以上の牛が生きて放牧されている。
この牛たちをこのままの状態でいかし、研究者に入ってもらい研究を進めてもらう。
現に今とある市町村二箇所でこういった研究が進んでいる。
殺処分を望まいない農家の方たちに、この取り組みを知ってもらい参加して欲しい。
まだ国として、牛たちを保護し、被曝研究を進めるという方針を出していないが、
国がこの研究を進め、成果を世界に還元するべきと考えている。
すでに有益なデータがでつつあるので、成果を発表することで、必要な研究であるということを認めてもらえるように動いていきたい。
●牛たちが生き続けることが希望になる
すべての家畜が研究対象になるわけではない。
しかし、生きていくことに意味があると思っている。
家畜は経済価値がなくなったら、無用なんですか?
それは人間の勝手な都合である。
人間の手で起こした災害で、これ以上いのちを奪ってはならない。
殺処分という選択をするのも政治
しかし、いのちを活かすのも政治
被曝をした牛たちが、除染もままならない放射線に汚染された地域で生きていくのは
かわいそうであるが、そこで生き続けていくことが畜産をしている農家の方々、これから故郷に帰ろうと努力をされる方々にとって、希望の灯火になるのではないかと農家の方々とお話をしていて気づいた。
質疑応答の中から
●300軒の農家のうち140軒以上が同意していない
5月12日の政府の殺処分の指示に対し、300軒の農家のうち140軒以上が同意していない。実際に殺処分が行われたのは現時点で30軒二百数十頭であることを考えると、2000頭以上が生存している可能性もある。
現在は、牛や豚たちが自由に町の中を動き回っているため、
一時避難の人の車に牛があたったり、牛が民家を荒らしたりなどの被害がでている。
こうした現実は、農家の悩みにもなっている。
警戒区域は人が自由に入れないので、自治体を動かし家畜を早急に保護し囲い込む必要があると考えている。
すでにこうした取り組みは、南相馬市でははじまっている。
●被曝した牛たちの研究内容と成果
・牛の体内からのセシウムの除去実験
プルシャンブルー、ベントナイト、リンゴペクチン、水素還元水など科学的に効果が認められている薬、そうでないもの含め様々な方法で、体内のセシウムを除去する研究を始めている。
・放射能が生体に与える影響調査
チェルノブイリ事故後、放射能が大型哺乳類の遺伝子に与える影響の研究は行われなかったので、過去に例のない調査である。
現在、肉に含まれる放射性物質は、首の部位で検査されている。
しかし、どの部位にどのくらい、どういった影響がでるのかは研究されていない。
臓器はどうなのか、骨はどうなのか、そういったことはこれまで研究すらされてこなかった。
殺処分されてしまった牛たちの臓器や血液、骨を分析しはじめている。
遺伝子への影響評価は、時間と共に観察していく必要がある。
放射線量の高い地域で被曝しながら生きること、そういった環境そのものが研究対象となる。
・動物の行動学
放牧中の牛たちがどのような行動をとるか
これまで動物たちが自然の中で、どのような行動をとるかの研究はあまりされていなかった。
●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介
10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!
以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。
「希望の牧場」サポーター基金について詳しくはこちら
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Vol.1の吉沢さんに続き、今回は高邑勉議員のお話をお伝えいたします。
□記者会見の概要
会見者
「希望の牧場」アドバイザー 高邑勉 衆議院議員
「希望の牧場」代表 エム牧場浪江農場農場長 吉沢正己氏
希望の牧場オフィシャルブログ
「希望の牧場」プロジェクトとは
※この部分は、Vol.1 吉沢さん編と同文です。既にお読みいただいた方は読み飛ばしてください。
4月22日、政府は福島第一原発の20km圏内を警戒区域に指定。
これにより区域内の住民は避難を余儀なくされ、人々の立ち入りが禁止された。
しかし、人のいない「死のまち」と化した警戒区域に、多くの動物達が取り残されていた。エサも水もない過酷な状況の中で餓死しミイラ化してしまった家畜も多くいる。
一方、生き残った家畜たちに対し政府は、5月12日に殺処分の決定を下した。
被曝し商品価値がゼロになった家畜は殺せ
そんな風にとれるこの決定に、警戒区域内にあるエム牧場浪江農場に通い300頭以上の牛たちにエサを与え命をつなぎ続けいていた、農場長の吉沢さんは納得がいかず「キレた」。
「牛たちを餓死させたくない、ただただ殺したくなかった」との思いで、
必死に生きている命の意味、命を守る道を探し始める。
そして、警戒区域内の家畜たちを放射能被曝の研究、調査の対象にすれば、今後の日本の復興のために、人々のために役立つ命として活かす道があるのではないか、という答えにたどり着いた。
無意味な餓死や殺処分ではなく、家畜たちの命を守りそして社会のために活かす。
それが「希望の牧場」プロジェクトです。
●1000頭以上の牛たちは今も生きている
4月22日に福島原発から20km圏内が警戒区域に指定され、人の立ち入りが禁止された。
福島県の発表では、区域内に牛約3500頭、豚約30000頭、鶏約68万羽、他にも馬100頭、羊、ヤギ、ダチョウなどの家畜、そして犬や猫もたくさんいた。
原発がどうなるかわからない状況の中、多くの農家たちは家畜を置いたまま避難した。
つながれたままの家畜たちは、餓死をしてしまったが、4月22日以前に野に放たれた家畜たちもたくさんいる。
農家の方たちは、家には戻れない、しかし家畜たちをつないだまま放置すれば餓死してしまう・・・そんな状況の中で苦渋の決断を強いられた。
警戒区域に30回入っている高邑議員は、
「私の感覚では、3500頭の牛のうち今も1000頭以上は生きています。」
と、今からでも守れる多くの命の存在を語る。
●農家さんたちの悲痛な訴え
民主党災害対策本部の福島県対策室に所属している高邑議員は、被災地である南相馬市に入り、現地で被災した農家の方々の訴えを聞いていた。
そんな中で、エム牧場さんの悲痛な思いを聞いた。
行政から立ち入りの許可がおりない中でも、警戒区域に立ち入って牛たちを守っていた。
5月12日に政府が安楽殺の処分を決めたが、
「応じられない、そんな簡単なものではない。家族同然に育ててきた牛たちを紙切れ一枚の指示で殺すことはできない。
埋葬することも許されず、牛たちの命を無意味に一方的に奪うことは牛飼いの誇りにかけてできない。」
他の農家の方たちからも「おらのベコが死んじまう、どうにかしてくれ」という悲鳴にも似た多くの訴えが寄せられていた。
●野馬追いの馬28頭、豚26頭を救う
警戒区域の指定がされて4月22日、相馬の野馬追の馬28頭が区域内に取り残されていた。
人の立ち入りが禁止され、区域内から区域外への動物の移動も禁止されてはいたが、
相馬地方にとって特別な存在であるこの馬たちを、なんとか救うことはできないのかという要望を受け官邸に掛け合い、市が管理するというルールのもと救出することができた。
続いて、3000頭くらいを飼っていた養豚業者からの
「これまで40年間、改良を重ねてきた豚たちは、自分の人生そのもの。
これを全て殺処分というのは、自分の人生を全て否定されるようなもの。
なんとか種の保存だけでもできないか」
という訴えを受け、農水省、政府に掛け合い、26頭だけを東京大学の牧場に移し救うことができた。
●動きの鈍い政府、動き始めた研究者
5月25日の研究者の連盟で総理官邸に”被災動物の保護、被災動物の研究する国立のセンター”の提言を出した。
この提言は政府からは「貴重な提言である」という前向きな答弁を引き出した。
しかし、現場が動かなかった。
一時帰宅、避難区域の見直し、原発の工程表で手一杯、所管の農水省も稲ワラでのセシウム汚染牛の問題があり、全頭殺処分という頑なな態度であった。
しかし、半年がたったここにきて、学者が現地に入り動き始めた。
現在は、学者と市町村が連携し牛の保護が進み、市町村の管理のもと牛の被曝の実態調査、牛からセシウムを除去する研究がはじまった。
●被災者が主役でなくてはならない
人間の手によって起こされた災害で、何の罪もない動物たちの命が一方的に奪われることはあってはならないと思う。
そして、その動物たちを飼っていた農家の方たちは、被災者である。
被災地では被災者の方たちが主役でなくてはならない。
被災者の方々の苦しみをどやって少なくしていくのか、
それを考えたら、被災者である農家が望まない殺処分、安楽殺をこれ以上すすめるべきでないと考えている。
そして、考えだしたのが「希望の牧場」プロジェクトである。
●牛たちを研究という目的で生かしきる
餓死、殺処分ではなく、今も被曝しながら生きている牛たちを研究という目的で生かしきるという道があってもいいのではないか。
エム牧場には、今も300頭以上の牛が生きて放牧されている。
この牛たちをこのままの状態でいかし、研究者に入ってもらい研究を進めてもらう。
現に今とある市町村二箇所でこういった研究が進んでいる。
殺処分を望まいない農家の方たちに、この取り組みを知ってもらい参加して欲しい。
まだ国として、牛たちを保護し、被曝研究を進めるという方針を出していないが、
国がこの研究を進め、成果を世界に還元するべきと考えている。
すでに有益なデータがでつつあるので、成果を発表することで、必要な研究であるということを認めてもらえるように動いていきたい。
●牛たちが生き続けることが希望になる
すべての家畜が研究対象になるわけではない。
しかし、生きていくことに意味があると思っている。
家畜は経済価値がなくなったら、無用なんですか?
それは人間の勝手な都合である。
人間の手で起こした災害で、これ以上いのちを奪ってはならない。
殺処分という選択をするのも政治
しかし、いのちを活かすのも政治
被曝をした牛たちが、除染もままならない放射線に汚染された地域で生きていくのは
かわいそうであるが、そこで生き続けていくことが畜産をしている農家の方々、これから故郷に帰ろうと努力をされる方々にとって、希望の灯火になるのではないかと農家の方々とお話をしていて気づいた。
質疑応答の中から
●300軒の農家のうち140軒以上が同意していない
5月12日の政府の殺処分の指示に対し、300軒の農家のうち140軒以上が同意していない。実際に殺処分が行われたのは現時点で30軒二百数十頭であることを考えると、2000頭以上が生存している可能性もある。
現在は、牛や豚たちが自由に町の中を動き回っているため、
一時避難の人の車に牛があたったり、牛が民家を荒らしたりなどの被害がでている。
こうした現実は、農家の悩みにもなっている。
警戒区域は人が自由に入れないので、自治体を動かし家畜を早急に保護し囲い込む必要があると考えている。
すでにこうした取り組みは、南相馬市でははじまっている。
●被曝した牛たちの研究内容と成果
・牛の体内からのセシウムの除去実験
プルシャンブルー、ベントナイト、リンゴペクチン、水素還元水など科学的に効果が認められている薬、そうでないもの含め様々な方法で、体内のセシウムを除去する研究を始めている。
・放射能が生体に与える影響調査
チェルノブイリ事故後、放射能が大型哺乳類の遺伝子に与える影響の研究は行われなかったので、過去に例のない調査である。
現在、肉に含まれる放射性物質は、首の部位で検査されている。
しかし、どの部位にどのくらい、どういった影響がでるのかは研究されていない。
臓器はどうなのか、骨はどうなのか、そういったことはこれまで研究すらされてこなかった。
殺処分されてしまった牛たちの臓器や血液、骨を分析しはじめている。
遺伝子への影響評価は、時間と共に観察していく必要がある。
放射線量の高い地域で被曝しながら生きること、そういった環境そのものが研究対象となる。
・動物の行動学
放牧中の牛たちがどのような行動をとるか
これまで動物たちが自然の中で、どのような行動をとるかの研究はあまりされていなかった。
●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介
10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!
以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。
「希望の牧場」サポーター基金について詳しくはこちら
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牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.1 ~吉沢さん編~
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by nekotoru
| 2011-10-17 19:59
| 福島 動物
普段は猫写真家ですが、たまに小さなメディアになって伝えます。おしどりマコさんケンさんの「自分がメディアになろうぜ」一期生?(仮&非公認)自分で見たこと聞いたこと、感じたままにお伝えします。
by nekotoru
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