飯舘村の猫マメの幸せについて
福島県飯館村にマメという名の猫が暮らしている。
飯舘村で犬猫に給餌をしながら写真を撮っているが、マメは特に気になる存在だ。
何度か会ううちに、僕の顔を見ると自分から近寄ってきて、ゴロ~ンとお腹を見せて歓迎してくれるようになった。
人懐っこいマメを見ていると、飼い主さんにとてもかわいがられ愛されていたことがわかる。
飯舘村は、東京電力福島第一原発の爆発事故により放射性物質に汚染された。
2011年4月に計画的避難区域に指定され、その後すべての村民が避難した。
以降、住人の立ち入りは可能だが、居住は禁止されている。
しかし、住人が避難した後も、多くの犬や猫たちは村で暮らし続けている。
住人の避難先の仮設住宅などで、ペットとの共生が認められていないことが犬猫が村に残された理由であるが、住人の避難から1年以上が経った今でも同じ状況が続いていることは、行政が動物の保護や避難に積極的ではないことの現れだろうと僕は考えている。
マメが暮らしているのは、飯舘村の中でも比較的放射性物質による汚染の酷い地域だ。
野球場一個分以上はある広い敷地の中で、ほとんどの時間をマメは一人っきりで過ごしている。
人が暮らしていない家からは、明かりが漏れることがなく、日が沈めばあたりは闇に包まれる。
誰もいない真っ暗な世界で、一人で過ごすことを想像してみた。
「すぐにでも明るい人のいる場所に行きたくなる」
自分ならそう感じるだろう。
だから人懐っこいマメに会った当初、
「こんなに人が好きな子がずっと一人で寂しい思いをしているのは、可哀想すぎる。。。すぐにでも保護してあげたい。」
と考えていた。
★マメの見ている風景
マメの家は山の中腹にあり、とても眺めがよい。南側は遮るものがなく美しい山々を望む。
しかし、先日飯館村を訪れた際に、マメの暮らすお宅で飼い主のおじいちゃんにお会いして以来、少し考えが揺れている。
おじいちゃんは現在83歳。
福島市内の避難先から、数日おきにスクーターに乗って1時間の道のりを経て、飯舘村の自宅にマメの世話をしに戻ってきている。
おじいちゃんの滞在中、マメは常におじいちゃんの姿が見える場所でくつろいでいた。
数日に一回、昼間の数時間しか一緒に過ごせなくなってしまったが、おじいちゃんがいる時のマメは、とてもうれしそうに幸せそうに見えた。
おじいちゃんも、マメのことがかわいくて仕方ないようで、やさしいまなざしでマメを見つめたり、愛おしそうに撫でたりしていた。
震災前までは、おじいちゃんは、おばあちゃんと息子さんと三人で暮らし、牛を飼い、牧草を栽培して暮らしていた。
戦後この地に移り住み、長い年月をかけて開拓してきた土地だという。
おじいちゃんは、「シーベルトとかベクレルとか、よくわかんね」と自宅敷地内で放射線量の計測はしていないそうだが、お隣のお宅の牧草地では、今でも空間放射線量は10マイクロシーベルト超が計測されていた。
近い将来、一軒一軒の家の除染が行われる予定であり、現在の計画では『敷地+外周20mの除染を行う』ことになっている。
しかし、宅地や農地を除染したとしても、村の面積の約75%を占める山林から再び放射性物質が飛来するだろうと考え、除染の効果を疑問視する人は少なくない。
そして、農業、畜産、酪農など土地に根付いた産業を生業にしていた村民が多く、仮に放射線量が下がって村に戻ることができたとしても、一度放射能に汚染されてしまった土地で採れた食物は「風評被害で売れない」と、再び同じように仕事はできないだろうという声も多く耳にする。
現在の放射線量を考えると、おじいちゃんの避難生活は、まだ当分のあいだ続くことになるだろう。
現在の避難先は、やはりペットとの共生が許されておらず、マメもひとりぼっちで過ごす時間の長い日々に、まだしばらく耐えなければならない。
おじいちゃんの帰村の負担や、マメの寂しさを思えば、やはりマメを保護して寂しくない環境で暮らせるようにするのも、ひとつの考え方だと思う。
しかし、一方でおじいちゃんのマメへの愛情、おじいちゃんを慕うマメの気持ちを思うと、おじいちゃんとマメを引き離してしまうのが、果たしてマメの幸せにとって正しいことなのかとも考えてしまう。
答えのでない疑問を前にすると、
「飯舘村が放射性物質に汚染されなければ、おじいちゃんもマメも寂しい思いをしなくてすんだのに。。。」
「原発事故がなければ。。。いや、原発がなければよかったのに」との思いに至らずにはいられない。
原発事故から一年以上が経った今でも、放射性物質の影響で、長い時間をかけて築きあげてきた生活を壊され、辛い思いをしている人や動物たちがたくさんいる。
そのことを忘れずに、今自分にできることをやり、自分たちの未来について考えていきたい。
少なくとも同じ過ちはもう繰り返してはならないと、おじいちゃんとマメのことを思うたびに感じる。
★犬猫救出プロジェクトの大網直子さんと飯館村を訪れた際に、一緒にマメに会いに行った。
しばらく大網さんにかわいがってもらい、マメもご満悦。
大網さんには「もしもおじいちゃんが、マメの世話が大変になったら、マメを預かったり引き取ったりすることもできますよ、と話してみたら。」とアドバイスをいただきました。
今度、おじいちゃんに会ったら話をしてみます。
ありがとうございましたm(_ _)m
飯舘村で犬猫に給餌をしながら写真を撮っているが、マメは特に気になる存在だ。
何度か会ううちに、僕の顔を見ると自分から近寄ってきて、ゴロ~ンとお腹を見せて歓迎してくれるようになった。
人懐っこいマメを見ていると、飼い主さんにとてもかわいがられ愛されていたことがわかる。
飯舘村は、東京電力福島第一原発の爆発事故により放射性物質に汚染された。
2011年4月に計画的避難区域に指定され、その後すべての村民が避難した。
以降、住人の立ち入りは可能だが、居住は禁止されている。
しかし、住人が避難した後も、多くの犬や猫たちは村で暮らし続けている。
住人の避難先の仮設住宅などで、ペットとの共生が認められていないことが犬猫が村に残された理由であるが、住人の避難から1年以上が経った今でも同じ状況が続いていることは、行政が動物の保護や避難に積極的ではないことの現れだろうと僕は考えている。
マメが暮らしているのは、飯舘村の中でも比較的放射性物質による汚染の酷い地域だ。
野球場一個分以上はある広い敷地の中で、ほとんどの時間をマメは一人っきりで過ごしている。
人が暮らしていない家からは、明かりが漏れることがなく、日が沈めばあたりは闇に包まれる。
誰もいない真っ暗な世界で、一人で過ごすことを想像してみた。
「すぐにでも明るい人のいる場所に行きたくなる」
自分ならそう感じるだろう。
だから人懐っこいマメに会った当初、
「こんなに人が好きな子がずっと一人で寂しい思いをしているのは、可哀想すぎる。。。すぐにでも保護してあげたい。」
と考えていた。
★マメの見ている風景
マメの家は山の中腹にあり、とても眺めがよい。南側は遮るものがなく美しい山々を望む。
しかし、先日飯館村を訪れた際に、マメの暮らすお宅で飼い主のおじいちゃんにお会いして以来、少し考えが揺れている。
おじいちゃんは現在83歳。
福島市内の避難先から、数日おきにスクーターに乗って1時間の道のりを経て、飯舘村の自宅にマメの世話をしに戻ってきている。
おじいちゃんの滞在中、マメは常におじいちゃんの姿が見える場所でくつろいでいた。
数日に一回、昼間の数時間しか一緒に過ごせなくなってしまったが、おじいちゃんがいる時のマメは、とてもうれしそうに幸せそうに見えた。
おじいちゃんも、マメのことがかわいくて仕方ないようで、やさしいまなざしでマメを見つめたり、愛おしそうに撫でたりしていた。
震災前までは、おじいちゃんは、おばあちゃんと息子さんと三人で暮らし、牛を飼い、牧草を栽培して暮らしていた。
戦後この地に移り住み、長い年月をかけて開拓してきた土地だという。
おじいちゃんは、「シーベルトとかベクレルとか、よくわかんね」と自宅敷地内で放射線量の計測はしていないそうだが、お隣のお宅の牧草地では、今でも空間放射線量は10マイクロシーベルト超が計測されていた。
近い将来、一軒一軒の家の除染が行われる予定であり、現在の計画では『敷地+外周20mの除染を行う』ことになっている。
しかし、宅地や農地を除染したとしても、村の面積の約75%を占める山林から再び放射性物質が飛来するだろうと考え、除染の効果を疑問視する人は少なくない。
そして、農業、畜産、酪農など土地に根付いた産業を生業にしていた村民が多く、仮に放射線量が下がって村に戻ることができたとしても、一度放射能に汚染されてしまった土地で採れた食物は「風評被害で売れない」と、再び同じように仕事はできないだろうという声も多く耳にする。
現在の放射線量を考えると、おじいちゃんの避難生活は、まだ当分のあいだ続くことになるだろう。
現在の避難先は、やはりペットとの共生が許されておらず、マメもひとりぼっちで過ごす時間の長い日々に、まだしばらく耐えなければならない。
おじいちゃんの帰村の負担や、マメの寂しさを思えば、やはりマメを保護して寂しくない環境で暮らせるようにするのも、ひとつの考え方だと思う。
しかし、一方でおじいちゃんのマメへの愛情、おじいちゃんを慕うマメの気持ちを思うと、おじいちゃんとマメを引き離してしまうのが、果たしてマメの幸せにとって正しいことなのかとも考えてしまう。
答えのでない疑問を前にすると、
「飯舘村が放射性物質に汚染されなければ、おじいちゃんもマメも寂しい思いをしなくてすんだのに。。。」
「原発事故がなければ。。。いや、原発がなければよかったのに」との思いに至らずにはいられない。
原発事故から一年以上が経った今でも、放射性物質の影響で、長い時間をかけて築きあげてきた生活を壊され、辛い思いをしている人や動物たちがたくさんいる。
そのことを忘れずに、今自分にできることをやり、自分たちの未来について考えていきたい。
少なくとも同じ過ちはもう繰り返してはならないと、おじいちゃんとマメのことを思うたびに感じる。
★犬猫救出プロジェクトの大網直子さんと飯館村を訪れた際に、一緒にマメに会いに行った。
しばらく大網さんにかわいがってもらい、マメもご満悦。
大網さんには「もしもおじいちゃんが、マメの世話が大変になったら、マメを預かったり引き取ったりすることもできますよ、と話してみたら。」とアドバイスをいただきました。
今度、おじいちゃんに会ったら話をしてみます。
ありがとうございましたm(_ _)m
by nekotoru
| 2012-06-27 20:57
| 福島 飯舘村
普段は猫写真家ですが、たまに小さなメディアになって伝えます。おしどりマコさんケンさんの「自分がメディアになろうぜ」一期生?(仮&非公認)自分で見たこと聞いたこと、感じたままにお伝えします。
by nekotoru
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