タグ:福島 ( 13 ) タグの人気記事

牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.1 ~吉沢さん編~

10月9日(日)東京麹町で「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見(自由報道協会主催)が行われました。
伝えたいことがいっぱいのため、Vol.1では「希望の牧場」代表の吉沢さんのお話をお伝えいたします。

□記者会見の概要
会見者
「希望の牧場」アドバイザー 高邑勉 衆議院議員
「希望の牧場」代表 エム牧場浪江農場農場長 吉沢正己氏
希望の牧場オフィシャルブログ

a0234688_1354441.jpg


「希望の牧場」プロジェクトとは

4月22日、政府は福島第一原発の20km圏内を警戒区域に指定。
これにより区域内の住民は避難を余儀なくされ、人々の立ち入りが禁止された。
しかし、人のいない「死のまち」と化した警戒区域に、多くの動物達が取り残されていた。エサも水もない過酷な状況の中で餓死しミイラ化してしまった家畜も多くいる。
一方、生き残った家畜たちに対し政府は、5月12日に殺処分の決定を下した。
被曝し商品価値がゼロになった家畜は殺せ
そんな風にとれるこの決定に、警戒区域内にあるエム牧場浪江農場に通い300頭以上の牛たちにエサを与え命をつなぎ続けいていた、農場長の吉沢さんは納得がいかず「キレた」。

「牛たちを餓死させたくない、ただただ殺したくなかった」との思いで、
必死に生きている命の意味、命を守る道を探し始める。

そして、警戒区域内の家畜たちを放射能被曝の研究、調査の対象にすれば、今後の日本の復興のために、人々のために役立つ命として活かす道があるのではないか、という答えにたどり着いた。

無意味な餓死や殺処分ではなく、家畜たちの命を守りそして社会のために活かす。
それが「希望の牧場」プロジェクトです。


□希望の牧場の放射線量

事故から半年以上が経った今でも、警戒区域である希望の牧場(浪江農場)では常時高い数値の放射線量が計測されています。
建物内で3μSv/h前後、牧草地では4~8μSv/h、風向きによっては10μSv/hが記録されることがある。
比較用参考数値:東京では0.1μSv/h以下、放射線管理区域が0.6μSv/h以上
年間の被曝量20mSvを時間あたりに直すと3.8μSv
このような高線量の中で、今も牛たちは生きており、吉沢さんや牧場のスタッフは活動を続けています。

a0234688_1354711.jpg


●「ずっと続けてきてよかった」

吉沢さんは、3月以降ずっと牛たちにエサのもやしを運んでいる。
3月はまだ牧草が生えておらず、もやしがあったからこそ牛たちは生き延びられた。
現在は、牧草も食べているので週に一回だが、
トラックが牧場に入る音が聞こえると牛たちがワッと寄ってきて、ゾロゾロとトラックの後をついてくる。
そして、エサをあげていると牛は次から次に寄ってくる、1kmも離れたところからも列をつくって寄ってくる。
そんな牛たちの姿を見て、「(希望の牧場プロジェクトを)ずっと続けてきてよかったと思う。」

と語った時、吉沢さんの表情が少しだけ緩んだのがとても印象的でした。
吉沢さんは、やさしい気持ちで命と向き合っている方なんだな、
命を大切に思う心が「希望の牧場」プロジェクトを推進する原動力なんだなと、感じました。


●天国と地獄

「周辺の牧場や牛舎と比べると天国と地獄の差がある。」

会見の冒頭に流されたVTRに映しだされた、
牛舎や豚舎の中で餓死しミイラ化、白骨化した牛や豚たち。
一方、希望の牧場では子牛もたくさん生まれ、牛たちは青々としげった牧草を食みながら自由に元気に暮らしている。

浪江町の中に、まさに天国と地獄のような状況が生まれてしまった。

吉沢さんは、牛たちを置いてかざるをえなかった人達の気持ちについて
「誰だって大事に飼っていた牛を見捨てて逃げるわけがない
しかし、そうせざるを得なかった・・・それが原発事故のものすごい恐怖だろうと思う。」
と話した。

原発事故がもたらす悲惨、凄惨な現実を見せつけられ、
原発は、エネルギー問題であると同時に、命の問題でもあるのだと改めて感じました。


●商品価値がゼロになったら、生きる意味がないのか

浪江町では警戒区域に指定され、人の立ち入りが禁止された4月22日以降、動物たちが飢えに苦しみ餓死するものもいた。
吉沢さん自身も、築三年の家からの避難を余儀なくされている。
そして、5月12日に政府から生き延びている家畜たちへ「殺処分」の通達が来た。
この時の心情を吉沢さんは、「もうキレたと」と表現されました。

たしかに被曝してしまった家畜たちは、商品価値がゼロになってしまった。
しかし、商品価値がなくなった瞬間に生きている意味のない存在にになってしまうのか。
吉沢さんたちは、家畜の殺処分には反対の立場から、牛たちが生きていく新しい意味を探し始める。
もちろん経済活動ではない、ペットでもない・・・
何かの意味が無いと、これから長く続くこの活動を自分たちはやっていけいない・・・
そして、ついに見つけた答えが
「牛たちを被曝研究に活かし役立てる、本当にこれだと思った。
これなら牛たちの生きる意味がある。」


a0234688_1929285.jpg
a0234688_136590.jpg


●絶望のまちに希望の火を灯したい

「死のまち、という表現があったが、その通りです。
私は絶望のまちと思っている。」


「港の方は、長い時間をかけて築きあげてきたものが木端微塵
絶望的な被害状況である。」

「浪江町の人達の多くは県外に避難している。
浪江町がなくなってしまうかもしれない
もう二度と浪江町で米はつくれないだろう
みんなそれはわかっていると思う。

そういう浪江町に帰る意味があるのかと思う。
帰れもしないし、帰る意味もない。
まさに絶望的な状況
しかし、その中で私たちは6ヶ月7ヶ月と頑張ってきた
絶望的な状況の中で、自らの手で希望の灯りをともすために
残りの人生の課題として取り組んでいきたい。
決死救命、団結
みんなの力で死ぬ気で頑張る
そういう中に、希望の火がともると思う。」



●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介

10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!

以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。

「希望の牧場」サポーター基金について詳しくはこちら


●関連記事
牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.2 ~高邑議員編~
[PR]
by nekotoru | 2011-10-16 10:13 | 福島 動物

福島県三春町から避難してきたママのお話~放射能から避難したママネット 増子理香さん~

9月17日(土)私の暮らす国立市のお隣の立川市にて反原発デモ「原発どうする!たまウォークin立川」が開催されました。

都心で行われるデモと比べると規模は小さく約400名程の参加ではあったものの、
比較的のんびりムードの多摩地区でも、こうしてデモが行われたことに大きな意味があるように感じました。

デモの列には国立市の市議会議員の方の顔もありました。
8月末時点で国立市にも30世帯68名の方が福島から避難してきているということで、市議会でも支援について様々議論がなされているということです。

a0234688_145973.jpg
a0234688_1452750.jpg


ポポポポーン♪ 久しぶりに見た^^

そして、今回のたまウォークの特筆すべき点は、
デモ後に様々な分科会が開催されたこと。

僕は、飯舘村の方の記者会見に参加して以来、
福島のことが気になっていましたので、
「福島とつながる」という分科会に参加しました。

この分科会では、福島第一原発の西方向約50~55kmにある福島県三春町から娘さんと二人で多摩地区に避難してきた増子理香さんのお話を伺うことができました。

a0234688_1465982.jpg


●娘さんとお母さん二人だけの避難 避難できただけでも幸せ

増子さんはご結婚後、三春町のご主人のご実家で、
ご主人、娘さん、義父、義母と五人で暮らしていたそうです。

ご主人のご実家は代々農家をやっており、家には黒毛和牛いたり、田んぼ、山、畑もたくさんもっていた。
増子さん自身、20アールの畑で有機農業を行い、全国のお客様に野菜を送っていたそうです。

三春町の空間線量は、福島県内では比較的低い方で県の発表で1.0μSv/h程度だったが、
ガイガーカウンターで様々な場所を測ってみると、2.0μSv/h近いホットスポットも所々で見つかった。

5月10日に東大和市へ小学校1年生の娘さんと二人だけ避難してきた。
旦那さんは、今も三春町に残っている。

娘さんの学校の友だちの中には、どんなに避難を願っても、
年老いた家族がいたり、牛などの生き物がいたりといった事情で
旦那さんが避難を許してくれない家も多くある。

そんな状況の中、娘さんと二人だけの避難になったが、
避難させてもらえただけでも幸せな家庭のひとつと思っている。

娘さんは、三春町にいた頃はいつもマスクをして外で遊ぶこともできなかったが、
東京に避難してきてからは、マスクなしでお日様の下で汗まみれになって遊ぶことができることを、何より喜んでいる。


●避難のきっかけ 学校は子供を守ってくれない

全国に有機農業のお客様がいたので、
当初は汚染された畑を浄化して、有機栽培農家として
どうやって立ち直っていくかしか考えておらず、
避難ということは全く頭になかった。

しかし、三春町では4月6日に通常通り学校の入学式が行われた。

震災、原発事故直後の混乱の中、幼稚園の卒園式は
すべて中止になっていたにも関わらず、
小学校の入学式はなぜか通常通り行われた。
誰も予想していなかったため、みんな崩れたスーパーやお店で
子供の入学式の正装の服などの準備をするような状況だった。

入学式当時に配布されたプリントの中に、
学校の放射能に関する考え方を記載しものがあり、
福島県の放射線リスク管理アドバイザーの山下先生の
「10mSv以下であれば、子供の健康被害は全くありません。」
という言葉があった。
学校はこの方針に従い、校庭での体育をはじめ、通常通りの学校活動を行いますということが書かれていた。

それを見て驚き、すぐに教育委員会等に問い合わせたが、
文部科学省からの指示だからということで、
そのまま学校の授業が始まりそうだった。

保護者200人ほどがあつまった保護者会の席で、
「校庭で体育をやるのはおかしいから、校長先生に話をしにいきましょう」
と呼びかけたが、
校長先生に会いに行く日に集まったのは、
増子さん含めたったの3人。
周りの目などがありなかなか行動できない人が多い現実があった。

結局、学校は通常通りはじまってしまし、
給食も地産地消、福島産の牛乳がだされるような状況だった。

水の安全性も疑わしかったので、
自宅では水道水(井戸水)の使用をやめ、
九州から送ってもらったお水を子供さんに飲ませていた。
学校にも九州の水を持たせたが、
先生から「学校の水道の水は安全だから、持ってきた水は飲んではだめ」と言われて、
子供さんは学校で持参した水を飲むことができなかった。

家で水道水を飲むことをやめていたため、
抵抗感から学校の水道水を飲むこともできなかった。

牛乳も飲んではダメと言っていたので、
その日は喉がかわいても水も牛乳も飲まないまま
学校での一日を過ごすことになってしまった。

そんなことがあり、親は家では子供を守れるが、
学校では先生の理解が得られなければ
子供を守ることができないと思い、避難を考え始めた。


●罹災証明がないと避難できない、東京へ自主避難

避難を考え始めた時に、
都営住宅やURなどに問い合わせをしたが、
罹災証明がないと受付さえしてもらえなかった。

三春町は、避難地域に指定されているわけでもなく、
家が倒壊したわけでもなかったので、罹災証明が出ず
国や自治体関係の機関を通しの避難の道は閉ざされていた。

しかし、偶然インターネットで
個人的に被災者支援をしているサイトを見つけ、
避難者の受け入れをしていた個人のお宅に直接連絡をして、
受け入れ先を見つけることができた。
今現在も、そこで生活をしている。


●三春町に残ったお母さん達の不安と校庭の除染

避難後、三春町に残っているお母さんたちの話を聞くと、
お母さんたちと学校の感覚にズレがあることがわかった。

4月は父兄からの不安の声で
体育館で行なっていた体育の授業を、
ゴールデンウィーク明けから
校庭でやりましょうということになった。

しかし、ほとんどの親御さんは放射能について不安を持っていたので、
体育の授業は「見学希望」と学校へのお便り帳に書いてきた。

ただし、親御さんが学校に伝えた理由は、
「風邪」や「腹痛」などの通常の病気であり、
「放射能」が心配だからと言える人はいなかった。
不安だけれど、それを口に出しにくい空気ができていた。

しかし、そんなことが続く中で、
町や学校の意識も変わり始め校庭の除染が行われることになった。

国からは、校庭の線量が1mSv/yを超える学校には
除染の費用を援助するという通達が来たが、
三春町では線量に関わらずすべての学校で除染が行われた。

増子さんの娘さんが、かつて通っていた学校の校庭は、
除染前0.9μSv/hから、除染後0.3μSv/hまで線量を低減することができた。

しかし、年間1mSvの基準よりは、
まだまだ線量が高いため、
今現在でも校庭での活動は制限されている。
プールでの活動も今のところ中止になっている。


●放射能を不安がるのはタブーな空気

三春町に残った人達の間では、
放射能を心配するということが
たとえ家族同士の会話であっても難しい空気になっていた。

三春町に残っているご主人と電話で話す際も
セシウム牛の話などをすると、怪訝がられる。

逃げたくても逃げられない人
逃げるつもりがない人
にとって、見たくない現実である
”放射能汚染”に反応することが、
タブーのようになりつつある。

増子さんが避難する直前の5月初旬は、
マスクをするのが恥ずかしい
放射能を不安がるのがおかしい
といった雰囲気があった。


●福島県外からの働きかけをお願いしたい

東京にきて思うのは、
放射能汚染に対する意識の高い人が
福島より多いということ。

福島の人達の放射能をタブー視する空気を考えると、
福島の外の人達が外から働きかけて
福島を変えて欲しい感じている。
※放射能をタブー視する人達が、自分からかわることは考えにくい・・・

中央からの働きかけによって、
福島の除染の助成金が出るようになったり、
20mSv/yの基準が下がったりといった
ことが実現している。
引き続き、福島のために力を貸していただけたらと思っている。


●ママネットをつくった理由、増子さんの想い

福島から避難してきたこと、
自主避難者であることを言えない人もいる。
いじめとか差別とかを恐れて、
子供にも福島から避難してきたことを
言っちゃダメといっているお母さんもたくさんいる。
でも、そういう状況はなんだかおかしいと感じる。

そういった人達を助けたいという思いで、
避難者同士がつながって助けあっていけたらと考え
ママネットをつくった。

避難してきた人も、そうでない人も
みんなで支えあるような空気をつくって欲しい。

脱原発も大切だと思うが、
まず今現在も被曝している福島や関東の子供たちを
守ることが大切だと思っている。
私は、この方向からの動きを続きていきたい。


□増子さんが代表をつとめるママネットのHP

避難してきたママさん
ぜひ増子さんとつながってください。

つながろう!放射能から避難したママネット@東京
[PR]
by nekotoru | 2011-09-24 14:08 | 福島 避難

福島で起こっていること 「放射線と健康リスク」国際専門家会議

9月13日の福島民報の一面で
「県民被ばくリスク低い」福島で放射線の専門家国際会議
さらに中面で
「心のケア重要性強調 最新研究成果を報告 放射線専門家の国際会議」
という記事が報じられました。

これらは、9月11日・12日に福島県立医科大学で開催された
「放射線と健康リスク―世界の英知を結集して福島を考える」
国際専門家会議(主催:日本財団)について伝えたものです。

国際原子力機関(IAEA)
国際放射線防護委員会(ICRP)、
世界保健機関(WHO)
国連科学委員会(UNSCEAR)

原子力、放射線に関する代表的な国際機関で活動する
放射線医学や放射線防護学の専門家約30名が一堂に会し、
「福島の現状を正しく掌握し、原発事故への健康リスク面からの対応を協議」
することを目的に開催されたこの会議、
開催前より多くの市民団体や研究者によって問題が指摘されていました。


●低線量被曝の健康への影響を認めていない研究者のみが参加

国際専門家会議に先立ち、9月9日に自由報道協会で開催された
「国際専門家会議への公開質問状に関する記者発表」

この場で、市民放射能測定所 岩田渉氏、丸森あや、NPOセイピースプロジェクト隅田聡一郎の各氏は、
「国際会議の参加者に、放射線の低線量被曝による健康への影響をICRPの評価より大きいと考えている研究者がいない。」
「3月中の段階で福島県住民に対してなされた100mSv以下の被曝は安全であるとの説明により、放射線防護に失敗し県民に被曝を強い、今もなお各地で様々な被曝が続いているのではないか。」
「異なる意見を持つ専門家、研究者との議論がなされないのは、自らの責任回避を図ろうとしているようにしか見えない。」
と厳しく指摘しました。

左から 丸森氏 岩田氏 隅田氏
a0234688_1915259.jpg


ICRPの2007年の勧告では、年間100mSvの被曝で1000人に約5人、0.5%の癌で死ぬリスクがあるとされており、100mSv以下の被曝については、学問的には「わからない」が、50mSvなら半分、10mSvならさらに五分の一のリスクがあるだろうと考えるのが合理的としています。

国際会議で委員をつとめる福島県立医科大学副学長であり、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーもつとめる山下俊一氏は、3月11日以降福島県の各所で行った講演会等で「100mSv以下の被曝では健康への影響はない」と断言しており、これはICRP勧告よりも100mSv以下の被曝について過小評価の立場をとっています。

一方で、中部大学の武田邦彦教授はHP上で、
「国際的には1年5ミリ程度まで大丈夫ではないかという医師が多い。10ミリを超えると危険な可能性があるという医師が増えてくる。」
と100mSvの十分の一、二十分の一のより低線量の被曝での危険性を認めている医師や研究者の存在を明言しています。

また、欧州放射線リスク委員会 (ECRR) の主張は、放射線防護基準はICRPの基準より少なくとも10倍厳しくするべき、というものです。

そもそも、ICRPの勧告では一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度は1mSvとされていますし、
放射線業務従事者の被曝限度は、単年で最大50mSv、ただしその前後5年間で100mSvを超えてはならない(年平均20mSv)。と法律で定められています。

これらの事実があることからも、100mSv以下の被曝による健康被害をICRPの勧告よりも大きいと評価する研究者の存在を無視することに疑問が生じてきます。

今回の国際会議の偏った出席者について、記者会見を行った三氏は「被曝による健康へのリスクは低いという結論ありきで集められたメンバーなのではないかとの疑問を持たざるを得ない」と語っていました。



●福島県民の不安解消が目的の『県民健康調査』

山下俊一氏は、福島県「県民健康管理調査」検討委員会委員にも名を連ねています。
その県民健康調査次第のなかに
『今回の福島第一原子力発電所事故による健康影響は極めて少ないと考えられる』
との一文があります。
これには、調査前に結果が予め断定されているのでは、との疑念の声が上がっています。

また、県民健康調査の目的は
『原発事故に係る県民の不安の解消、長期にわたる県民の健康管理による安全・安心の確保』とあります。
しかし、放射線防護の専門家の役割は「不安の解消ではなく、県民の放射線被曝を最小化し、健康被害を未然に防ぐこと」ではないかと三氏は指摘しています。

例えば、福島市役所付近の放射線の空間線量は
0.90マイクロシーベルト/時(2011年09月22日15時48分測定 福島市発表)

この線量を単純に24時間365日浴び続けたとしたら
年間の被曝量は、7.884ミリシーベルトになります。
0.90×24×365=7884マイクロシーベルト=7.884ミリシーベルト
単純計算による目安です。

一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度は1ミリシーベルトとされていること、
低線量の被曝による健康への影響を認めている研究者も多数いること、
放射線業務従事者であっても被曝限度が年平均で20mSvとされていること・・・

これらの事実からは、
現在の福島市の空間線量について
専門家、研究者のすべてが安全と断言するとは考えにくく
見解は様々にわかれると考えるべきだと思います。

より低線量の被曝の影響を認める見解の専門家、研究者の参加がない国際会議の場で出された
「県民被ばくリスク低い」
「心のケア重要性強調」
といった提言が、福島県民の多くが購読する福島民報に掲載されたこと・・・
このことは、本当の意味での福島県民の安全・安心につながっているのか
私自身は強く疑問を感じています。

全国的には、あまり大きく報じられていないと思いますが、
これも福島で起こっていることです。


※私自身、放射能、放射線の専門家ではないため、専門的な知識が充分ではありません。
調査の上、注意深く記述をしておりますが、文中に誤りなどございましたらご指摘ください。

[PR]
by nekotoru | 2011-09-23 19:28 | 原発


普段は猫写真家ですが、たまに小さなメディアになって伝えます。おしどりマコさんケンさんの「自分がメディアになろうぜ」一期生?(仮&非公認)自分で見たこと聞いたこと、感じたままにお伝えします。


by nekotoru

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

全体
福島 飯舘村
チェルノブイリ
原発
福島 避難
福島 動物
福島 支援
放射能汚染
福島 被害
未分類

最新の記事

飯舘村の猫マメの幸せについて
at 2012-06-27 20:57
飯舘村で会った老犬「やっと会..
at 2012-03-13 19:27
「福島を風化させず、日本の未..
at 2011-12-24 12:58
あの日から8ヶ月半、2011..
at 2011-12-02 19:30
あの日から8ヶ月半、2011..
at 2011-12-02 18:58

以前の記事

2012年 06月
2012年 03月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月

タグ

検索

外部リンク

その他のジャンル

ブログパーツ

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧