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飯舘村の猫マメの幸せについて

福島県飯館村にマメという名の猫が暮らしている。
飯舘村で犬猫に給餌をしながら写真を撮っているが、マメは特に気になる存在だ。

何度か会ううちに、僕の顔を見ると自分から近寄ってきて、ゴロ~ンとお腹を見せて歓迎してくれるようになった。
人懐っこいマメを見ていると、飼い主さんにとてもかわいがられ愛されていたことがわかる。

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飯舘村は、東京電力福島第一原発の爆発事故により放射性物質に汚染された。
2011年4月に計画的避難区域に指定され、その後すべての村民が避難した。
以降、住人の立ち入りは可能だが、居住は禁止されている。

しかし、住人が避難した後も、多くの犬や猫たちは村で暮らし続けている。

住人の避難先の仮設住宅などで、ペットとの共生が認められていないことが犬猫が村に残された理由であるが、住人の避難から1年以上が経った今でも同じ状況が続いていることは、行政が動物の保護や避難に積極的ではないことの現れだろうと僕は考えている。


マメが暮らしているのは、飯舘村の中でも比較的放射性物質による汚染の酷い地域だ。
野球場一個分以上はある広い敷地の中で、ほとんどの時間をマメは一人っきりで過ごしている。
人が暮らしていない家からは、明かりが漏れることがなく、日が沈めばあたりは闇に包まれる。

誰もいない真っ暗な世界で、一人で過ごすことを想像してみた。
「すぐにでも明るい人のいる場所に行きたくなる」
自分ならそう感じるだろう。

だから人懐っこいマメに会った当初、
「こんなに人が好きな子がずっと一人で寂しい思いをしているのは、可哀想すぎる。。。すぐにでも保護してあげたい。」
と考えていた。

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★マメの見ている風景
マメの家は山の中腹にあり、とても眺めがよい。南側は遮るものがなく美しい山々を望む。



しかし、先日飯館村を訪れた際に、マメの暮らすお宅で飼い主のおじいちゃんにお会いして以来、少し考えが揺れている。

おじいちゃんは現在83歳。
福島市内の避難先から、数日おきにスクーターに乗って1時間の道のりを経て、飯舘村の自宅にマメの世話をしに戻ってきている。

おじいちゃんの滞在中、マメは常におじいちゃんの姿が見える場所でくつろいでいた。
数日に一回、昼間の数時間しか一緒に過ごせなくなってしまったが、おじいちゃんがいる時のマメは、とてもうれしそうに幸せそうに見えた。
おじいちゃんも、マメのことがかわいくて仕方ないようで、やさしいまなざしでマメを見つめたり、愛おしそうに撫でたりしていた。

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震災前までは、おじいちゃんは、おばあちゃんと息子さんと三人で暮らし、牛を飼い、牧草を栽培して暮らしていた。
戦後この地に移り住み、長い年月をかけて開拓してきた土地だという。

おじいちゃんは、「シーベルトとかベクレルとか、よくわかんね」と自宅敷地内で放射線量の計測はしていないそうだが、お隣のお宅の牧草地では、今でも空間放射線量は10マイクロシーベルト超が計測されていた。

近い将来、一軒一軒の家の除染が行われる予定であり、現在の計画では『敷地+外周20mの除染を行う』ことになっている。
しかし、宅地や農地を除染したとしても、村の面積の約75%を占める山林から再び放射性物質が飛来するだろうと考え、除染の効果を疑問視する人は少なくない。

そして、農業、畜産、酪農など土地に根付いた産業を生業にしていた村民が多く、仮に放射線量が下がって村に戻ることができたとしても、一度放射能に汚染されてしまった土地で採れた食物は「風評被害で売れない」と、再び同じように仕事はできないだろうという声も多く耳にする。

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現在の放射線量を考えると、おじいちゃんの避難生活は、まだ当分のあいだ続くことになるだろう。
現在の避難先は、やはりペットとの共生が許されておらず、マメもひとりぼっちで過ごす時間の長い日々に、まだしばらく耐えなければならない。

おじいちゃんの帰村の負担や、マメの寂しさを思えば、やはりマメを保護して寂しくない環境で暮らせるようにするのも、ひとつの考え方だと思う。

しかし、一方でおじいちゃんのマメへの愛情、おじいちゃんを慕うマメの気持ちを思うと、おじいちゃんとマメを引き離してしまうのが、果たしてマメの幸せにとって正しいことなのかとも考えてしまう。

答えのでない疑問を前にすると、
「飯舘村が放射性物質に汚染されなければ、おじいちゃんもマメも寂しい思いをしなくてすんだのに。。。」
「原発事故がなければ。。。いや、原発がなければよかったのに」との思いに至らずにはいられない。

原発事故から一年以上が経った今でも、放射性物質の影響で、長い時間をかけて築きあげてきた生活を壊され、辛い思いをしている人や動物たちがたくさんいる。

そのことを忘れずに、今自分にできることをやり、自分たちの未来について考えていきたい。
少なくとも同じ過ちはもう繰り返してはならないと、おじいちゃんとマメのことを思うたびに感じる。


犬猫救出プロジェクトの大網直子さんと飯館村を訪れた際に、一緒にマメに会いに行った。
しばらく大網さんにかわいがってもらい、マメもご満悦。
大網さんには「もしもおじいちゃんが、マメの世話が大変になったら、マメを預かったり引き取ったりすることもできますよ、と話してみたら。」とアドバイスをいただきました。
今度、おじいちゃんに会ったら話をしてみます。
ありがとうございましたm(_ _)m
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by nekotoru | 2012-06-27 20:57 | 福島 飯舘村

「福島を風化させず、日本の未来を考えよう」希望の牧場・吉沢牧場長、渋谷ハチ公前街頭活動12・11

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東日本大震災から9ヶ月目の12月11日(日)東京 渋谷駅のハチ公前広場で、福島原発20km圏内浪江町の『希望の牧場』吉沢正己牧場長が、牧場のこと警戒区域内の農家や動物たちのこと、そして日本の未来への思いを、渋谷駅前スクランブル交差点を行き交う途切れることのない人波に向って訴え続けた。

時間の経過とともに人々の意識や記憶は風化していくものではあるが、いくらなんでも早すぎるのではないかと思えるスピードで、福島が収束したことにされていく。。。
被災地では、今も現在進行形で地震や津波による破壊からの復興、そして放射能汚染による被害との戦いが続いているのに。。。

吉沢さんの声に耳を傾け、目を向ける人が少数派であり、圧倒的多数の人が何も聞かなかった、何も見なかったように通り過ぎる。。。
あの日から9ヶ月目の渋谷駅前で、僕は少し悲しくなった。

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吉沢さんの牧場は、東京電力福島第一原発から14キロ地点に位置する。
現在でも放射能汚染が酷く、立ち入りが禁止されている20km圏内・警戒区域の中にある。
原発の爆発により、牧場の敷地内の自宅に住めなくなり、大切に育ててきた牛たちも市場での価値を失ってしまった。
吉沢さん自身も仮設住宅への移住を余儀なくされ、そこから牛たちの世話のため牧場に通っている。
大きな被害を受けながらも、「警戒区域内の牛たちは殺処分」という国の方針に異を唱え、牛たちの命を守るために今も戦い続けている。

牛たちの世話をするにはお金が必要になる。
牧場の敷地の空間線量はいまだ高いままである。
牧場の除染は可能なのか。

吉沢さんの前にはクリアしなければならない問題が山積みである。


しかし、吉沢さんは力強く戦い続けている!
「命を大切にする優しい日本をつくろうよ!
将来の世代のために、原発がなくてもやっていける日本をつくろうよ!
そのためにみんなでがんばろうよ!」


無関心が多数派に見える東京の人々にさえ、優しいメッセージを送り続けてくれる吉沢さんに心より感謝をしたい。
そして、ひとりでも多くの人に「フクシマは何も終わっていない」ことを伝えなければいけないと、改めて感じた。
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●命をそまつにする国の方針はおかしい

警戒区域内で今も生き続けている牛は、1000頭以上にのぼると見られている。
吉沢さんの希望の牧場でも、300頭の牛たちが今も元気に生き続けている。

「生き残った牛たちは、福島原発事故による被曝の実態を科学的に調査をする貴重なサンプルになる。」

吉沢さん達が実現を目指す希望の牧場プロジェクトとは
”被曝してしまった牛たちの命を無意味に奪うのではなく、動物の被曝研究、除染研究の目的で生かす”
餓死でも殺処分でもない、家畜たちが生きる第三の道をつくり命を守るというもの。


吉沢さん達の継続的な活動により、全国から多くの支援が集まり希望の牧場の牛300頭については、冬を越すためのエサ代を賄える目処がたった。
そして、吉沢さんは、牛たちの命を守りたいと願っている仲間の畜産農家や酪農家への援助の必要性も強く感じている。

しかし、多くの畜産農家や酪農家の「牛たちに命を全うして欲しい。」という願いに反し、警戒区域内で生き続けている家畜に対する国の方針は、殺処分である。

「国や農水省が生き残った1000頭の牛たちを、みんな死んでしまえ、邪魔者は片付けろと言っているが、認められない。
多くの農家が牛を置いて逃げざるを得なかった、餓死をさせてしまったと、避難所で夜も眠れないほど苦しんでいる。
しかし、いま餓死をまぬがれた牛に対する殺処分が始まっている。
命をそまつに見捨てる、そんな国の方針はおかしいと思う。
生き残った牛は全て殺処分しろ、そんな酷い仕打ちを絶対に認めないために、みなさんの応援をお願いいたします。」


吉沢さんは、国の方針を認めずこれからも戦い続けていく、そして国の方針を変えるためには、多くの人達の声が必要であると語る。


●日本の未来をみんなで考えましょう!

日本の国会では原発輸出を可能にするための原子力協定の承認がなされ、いわゆる原子力ムラ、原子力マフィアが息を吹き返そうとしている。
一方、被災地では多くの人がいまだに行方不明のまま、地震や津波の被害の爪痕が街中に残されている。
そして、原発からの放射能漏れにより、原発から20km圏内は立入禁止とされ、住人は自分の家に戻ることもできない。
20km圏の外でも、放射能被曝の影響から逃れるため、多くの人達が避難生活を強いられている。
テレビや新聞の報道を見ていると、3.11の大災害とそれに続く東京電力福島第一原発の爆発・放射能漏れ事故は収束しているかのように錯覚することがある。
しかし、フクシマは何も収束していない。

「いまみんなが福島を忘れようとしている、風化がはじまっている。」

福島のことをみんなが忘れてしまえば、おそらく全国の原発は次々に再稼働されていくだろう。。。
それは、全国どこでもがフクシマになってしまう危険性を持つことを意味する。

「日本全国の老朽化の進んだ原発が心配です。
福島と同じような事故がどこで起こってもおかしくありません。
子供たちや孫たちの未来に、どうしたら安心して暮らせる社会が作れる、立ち止まっていまみんなで考えようじゃありませんか。
福島県はかわいそうだという、そんな気持ちはいりません。
それよりもみんなで考えましょう。
原発がなくてもやっていける、日本の未来の姿をみんなで考えましょう。


吉沢さんは第二のフクシマをつくらないためにも、福島のことを忘れず、みんなが自分の問題として日本の未来を考えることが必要と訴えた。

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●12月11日 吉沢さんアピール

福島県浪江町で今なお300頭の牛を飼っている牧場です。

警戒区域に残された牛たちが水もなく、エサもなく次々と餓死をして倒れていった、そういう無残な姿を見てください。
福島原発の事故で大変な被害を受け、飼っていた何百頭あるいは千頭もの家畜たちの命が奪われました。
警戒区域20km圏内で暮らしていた私たちは、家に帰ることさえ許されません。
浪江町、双葉町、大熊町、富岡町は日本におけるチェルノブイリとなってしまいました。
家に帰ることも許されず、仕事を失い、未来への展望さえ失おうとしています。
東京電力福島原発の大事故のせいで、私達に希望はありません。

酪農家のみんなが、牛を置いて逃げざるをえなかった。
この無念の気持がこもった写真を見ていってください。
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今、農家のみんなが苦しんでいます。
多くの農家が牛を置いて逃げざるを得なかった、餓死をさせてしまったと、避難所で夜も眠れないほど苦しんでいる。
しかし、いま餓死をまぬがれた牛に対する殺処分が始まっています。
命をそまつに見捨てる、そんな国の方針はおかしいと思います。


みんなが食べる牛肉をつくり、みんなが飲んでいるおいしい牛乳をつくり、米をつくり野菜をつくり、果物をつくり。。。農業の盛んな福島県が今苦しんでいます。
原発からの放射性物質に汚染され、福島県の明日が見えません。
東京電力と国に対し、僕達は残りの人生をかけこの大損害の償いを求めていきたいと考えています。

僕の牛舎では、300頭を超える牛たちが今も元気よく生きております。
原発の放射能によって経済的な意味はゼロになりました。
しかし、この牛たちは放射能の被曝の影響調査の、体内からのセシウムの除染の効果を示す生きた証人であります。
放射能に汚染されたかもしれませんが、この牛たちが元気よく生きている限り、福島原発の事故はいつまでも語り継がれると思います。

しかしながら、この牛たちを殺処分せよという農水省の指示がいま出されております。
今だに原発から20キロ圏内の警戒区域には1000頭を超える牛達が元気よく生きているんです。
しかし、この牛たちは邪魔者として殺されようとしています。


たくさんの犬猫ペットは救出をされました。
なのに、牛や豚については殺処分
矛盾しております。
同じ命あるものをどうして助けることができないのか。

私たちは、餓死でもない殺処分でもない、第三の道としてこの牛たちの生きる意味をみなさんに訴えております。

日本獣医生命大学が、僕の牧場でセシウムの汚染状況を調べ、その牛たちからセシウムを抜くための被曝、除染の研究を行いました。
12月の下旬には、その研究成果が公表されます。

被曝はしたけれども、僕達は負けない。
この放射能と戦いながら、浪江町の復活のために頑張っていきたいと思っています。
チェルノブイリと同じように死んだ町にすることはできません。
希望の牧場プロジェクトに、どうぞみなさんの応援をお願いいたします。


福島が苦しんでいる時、僕は言いたい。
福島の電気のおかげで、ゆたかな便利な暮らしをしていたのに、
いまみんなが福島を忘れようとしている、風化がはじまっている。
おかしいと思います。
いまも福島は苦しんでいます、差別をされています。
放射能汚染で、いま福島県の明日が見えません。

日本全国の老朽化の進んだ原発が心配です。
福島と同じような事故がどこで起こってもおかしくありません。

来年春には全国の原発のほとんどが停止します。
原発がなくてもやっていける日本を、今こそみんなで考えましょう。
子供たちや孫たちの未来に、どうしたら安心して暮らせる社会が作れる、立ち止まっていまみんなで考えようじゃありませんか。

福島県はかわいそうだという、そんな気持ちはいりません。
それよりもみんなで考えましょう。

原発がなくてもやっていける、日本の未来の姿をみんなで考えましょう。


放射能から逃げ惑う人がたくさんいる、福島県では既に6万人の人が避難をしました。
子供たちやお母さんが、放射能の影響が心配で福島にいられないと、みんな逃げ出してしまいました。


東海大地震が起こったら浜岡原発は、福島原発の二の舞。
放射能が飛び散り、放射能汚染から東京のみんなが逃げまどう。。。そういう光景が起こり得ることを考えようじゃありませんか。

私達はいま、立ち止まって考え、福島原発が起こした今回の事態を忘れてはなりません

電力会社の金儲けのために、国民みんなが放射能に巻かれるような、そういう事態を再び起こしてはなりません。
私の牧場の牛たちは、福島で起こった事態をみんなに語り継いでいく、生きた証人です。
福島原発はまだ何も終わっておりません。
燃料は溶け落ち、再臨界が起こる可能性もあります。
安定冷却停止なんてウソです。

危ない原発に頼っていく日本に未来はありません。
福島原発の爆発の影響で、私の周りでどれだけ多くの牛たちが死んでいったか、見てください。

そして、みんなで一緒に考えていきましょう。
原発がなくてもやっていける日本を、今こそみんなで考えましょう。
日本の明日、子供たち孫たちのことをみんなで考えましょう。

希望の牧場ホームページ

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by nekotoru | 2011-12-24 12:58 | 福島 動物

お魚買うならイオンが比較的安心かな~♪「お魚スーパーマーケットランキング」発表!

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11月24日東京麹町で、国際環境NGOグリーンピースは「お魚スーパーマーケットランキング」発表の記者会見(主催:自由報道協会)を行った。

このランキングは、国内大手スーパーマーケット5社(イオン、イトーヨーカドー、ユニー(アピタ)、ダイエー、西友)に対し、グリーンピースが行ったアンケート調査への回答をもとに、魚介類の放射性物質汚染への取り組みを評価、採点したもので、下記が順位である。

1位イオン(82ポイント)
2位イトーヨーカドー(68ポイント)
3位ダイエー(54ポイント)
4位ユニー(46ポイント)
5位西友(32ポイント)


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●イオンが6000人の消費者の声を受けて独走状態!

今回のグリーンピースの調査で、企業間で放射性物質汚染への取り組みに大きな温度差があることが浮き彫りになった。

1位のイオンの取り組みが他4社に比べ突出しており、イオンを利用することによって、消費者が放射性物質に汚染された魚介類を購入してしまうリスクを比較的低く抑えられると考えられます。

イオンの主な取り組みを簡単にまとめると、
13魚種と限定的ではあるが、放射性物質の検査を定期的に実施し、その結果をお店とHPで公開
政府が定めたセシウム137の暫定規制値500ベクレル/kgに対し、十分の一の50ベクレル/kgをイオンの独自基準として設定
実際には放射性物質が検出された商品は、50ベクレル以下であっても販売を見合わせている。(11Bq/kgが検出された「めじまぐろ」が販売とりやめになった。)
そして、その魚が獲れた水域を産地として表示
といったものである。

消費者目線から見ると、イオンの取り組みはごくごく当たり前のことのように感じますが、スーパーマーケット業界最大手の大企業が政府の方針に事実上のNOを突きつけたこと、最大手ゆえに同業他社や業界団体との関係から動きにくいこともある中で、先頭を切った動きの意義は大きく、消費者のひとりとして拍手を送りたいと思います。

そして、注目に値するのは「イオンを動かしたのは6000人の消費者の声」という事実です。
「消費者ひとりひとりの声が、企業を変えることができる」ということが証明されました。
「国が大丈夫といっているから、大丈夫だろう」
「自分が言わなくても、誰かが言ってくれるだろう」
ではなく、みんながそれぞれの思いを企業に伝えることが、企業の背中を後押しする力強い一票となります!
「放射能汚染の検査をしていない魚は、不安だから買えない」
と、私も利用するスーパーに伝えようと思います。
店頭のお客様カード、電話、メール、Webから・・・方法は色々あります(^^)v
みなさんも、ぜひスーパーに声を届けてください。


●いわゆる風評被害は情報不足が原因?

イオンに続くのが2位のイトーヨーカドーですが、
『販売時に水揚げ港ではなく、漁獲水域を表示』
『プライベートブランド「顔が見えるお魚。」のみ、自主的なサンプリング調査を実施』ただし、放射性物質の検査結果の公表は検討中。。。
といった取り組みにとどまっており、消費者が安心して魚介類を購入するには、情報が不足しすぎています
しかし、これから前向きに消費者からの要望に応えようという姿勢が評価され、期待値も含めて第2位にランクイン。

3位のダイエー、4位のユニー(アピタ)、5位の西友については、「対策の必要性は理解している。」が「対策を検討中」といった段階であり、また項目によっては「対策の必要性を感じていない。」といった回答もあり、現時点では消費者が安心して魚介類を購入するための判断材料となる情報が皆無に等しい状態です。

一方、11月17日に発表されたグリーンピース食品放射能調査『第2回 冬のお魚調査』の結果からわかったことは
・マダラ、メバチマグロ、カツオといった特定の魚種では、ほぼすべてのサンプルが放射性物質に汚染されていた
・調査全体としては75サンプル中27サンプルが汚染されていた

つまり、特定の魚種は汚染頻度が高いという傾向はあるが、店頭に並んでいる魚介類の三分の二は汚染されていない、ということです。

お店には安全な魚介類もたくさん並んでいるのに、どれが安全でどれが汚染されているのか。。。判断する情報がないため消費者は不安になって買えない(T_T)
これが、いわゆる風評被害の正体なのではと感じます。
75打数27安打は「.360」イチローばりの高打率・・・当たっちゃいそうですもんね(T_T)

■お魚スーパーマーケットランキングの詳細はこちら

グリーンピース・ジャパン 花岡氏
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グリーンピース・ジャパン理事長 佐藤潤一氏
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●グリーンピース花岡さん、佐藤さんからのメッセージ

今回のランキング発表プロジェクトを担当した、グリーンピース・ジャパン海洋生態系問題担当の花岡和佳男(はなおかわかお)氏は、
「魚介類の放射能汚染対策は、本来は政府が動き解決していくべき問題である。しかし、政府の動きはあまりにも遅い」
と、事故から8ヶ月以上が経過しても遅々として進まない日本政府の対応に、厳しい評価を与えている。
「政府が動かないのなら民間が政府をプッシュし、政府を動かす流れを作ることが必要である。イオンは6000人の消費者の声で変わった、ひとりひとりの市民の声が企業を変えて、業界を変えて、政府を押していく流れを作るということが、今みんながやっていかなければならないことと思っている。
みんなで参加して、みんなで変えて行きましょう。」
と、ひとりひとりの声こそが、問題を解決する原動力であると訴える。

そして、会見の最後に、グリーンピース・ジャパン理事長の佐藤潤一氏は、
「決して忘れてはいけないのは、スーパーも漁師さんたちも消費者も、全員が被害者であること。
今回の出来事に関しては東京電力が加害者である。
被害者が協力して、良い社会を作っていったとしていも、
原発事故を起こした加害者である東京電力の責任を追求していかないと、また同じような間違いが繰り返される。
グリーンピースとしても、今後東京電力自身に対して責任の追求を、もっともっと強くやっていきたいと考えている。」
と締めくくった。


●グリーンピース・ジャパンを通してスーパーに声を届けよう!

緊急オンライン署名
「スーパーマーケットさん、売っているお魚、放射能検査して!」
1万筆を目標に2011年11月28日(月)お昼12:00まで受付中
緊急オンライン署名 「スーパーマーケットさん、売っているお魚、放射能検査して!」 日本全国「お客様の声」
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by nekotoru | 2011-11-26 23:55 | 放射能汚染

東京渋谷で訴える!原発20km圏”殺処分”の牛たちを守る「希望の牧場」吉沢牧場長

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10月24日(月)午後、東京渋谷駅のハチ公前広場で希望の牧場の吉沢正己牧場長が
福島の人たちの思いを訴えた。

「福島の人達は差別を受け苦しんでいる、放射能汚染に苦しんでいる。
 福島県のみんなのことを考え、想像して欲しい。」

「牛たちは被曝してしまい、商品価値はなくなったが
 無意味に殺処分するのではなく、被曝研究の目的で生かしたい。」

今回が東京での5回目のアピール行動だった吉沢さんは、
「繰り返しアピール続ける中で、メディアへの露出も増えてきた、少しずつ希望の牧場のこと、警戒区域内の牛たちのことが認知されてきている。
しかし、まだまだ政府を動かすには力が足りない。
もっと多くの人に知ってもらい、政府や自治体が無視できない実力を得たい。」
と、今後も粘り強くアピール行動を続けていく考えでいる。


●牛たちの囲い込みと隠される20km圏内

希望の牧場の舞台となっている吉沢さんのエム牧場では、広い放牧地の中で330頭の牛たちが今も元気に生きている。
一方、原発20km圏内には、放置された牛たちが1000頭以上、街中を自由に歩き回っているという現実もある。
一時帰宅した人達から「牛に家を荒らされた」「牛が町を汚している」といった苦情が各町役場に寄せられていることもあり、自治体は牛たちを特定の場所に囲い込み管理する方針を出し始めているという。

しかし、吉沢さんは、囲い込みの目的が牛たちの保護のためなのか、自治体が牛たちにエサや水を与え命を守っていくのか、しっかり見ていく必要があると語る。

牛たちの命を守るには、お金も人も必要であり、政府の方針が”殺処分”である現状では、苦情対策として牛たちを特定の場所に集めたとしても、命をつなぐための予算や人がどこからでるのか。。。
予算がなければ牛たちにエサを与えることができない、エサがなければ牛たちは餓死してしまう・・・
結果的に、餓死させるための囲い込みになる危険性がある

そして、原発20km圏内へのメディアの立ち入りが制限されていることについて、
「政府は20km圏内・警戒区域内の現実を隠そうと思っているのではないか。
 これでは20km圏内でもしも悲惨なことが起こっても、国民に現実が伝わらない」

と強い危機感を抱いている。



”牛たちの命を無意味に奪うのではなく、動物の被曝研究、除染研究の目的で生かす”という希望の牧場プロジェクトは、まだまだ政府や自治体に認められておらず、予断を許さない状況が続いている。
しかし、大学や研究機関での研究、調査も徐々に結果を出し始めている、警戒区域内の農家にもプロジェクトへの参加を呼びかけ、少しでも多くの牛たちの命を守りたい。これは牛屋の意地の問題だ、がんばりぬく。
と吉沢さんの表情は力強い。

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●希望の牧場 吉沢正己牧場長 渋谷ハチ公前アピール

福島で生きづつける吉沢さんの思い、少し長文ですがぜひお読みください。
※お話の内容が変わらない範囲で、一部編集しております。予めご了承ください。

==========
◯農家は逃げざるを得なかった

福島原発爆発放射能漏れ事故から七ヵ月が経ちました。
私は福島原発から14km地点の福島県浪江町で、330頭の牛を今も飼っています。

3月11日の大地震、大津波、そして12日からはじまる信じがたい原発の爆発事故を間近でこの目で見ながら、牛を守るために逃げるわけにはいかないと、停電の中で一週間被曝し続けました。

国や県、東電からの情報が一切無く、SPEEDIの情報が隠される中、浪江町の大勢の人が避難した津島という場所に、あの3月15日に大量の放射性物質を帯びた雪や雨が降りました。
大勢の方が被曝しながら、命からがらに二本松に逃げ出す。。。それがあの時の浪江町の状態でした。

近所の大勢の酪農家たちは、停電の中で水もエサも与えられない、原発からの放射能は猛烈に降り注いでくる。。。
そんな大混乱の中で、事故から数日のうちに搾乳牛すべてを諦め、逃げざるを得ませんでした。


牛たちを飼っていた大勢の農家のみなさんの無念の気持ちは、今も私の気持ちを奮い立たせます。


◯べこ屋の意地

私は浪江町で今なお330頭の牛を育てております。
被曝してしまい商品価値はまったくありません。
しかし、私は自分の作った牛舎の中で200頭300頭の牛を餓死させるわけにはいかない。

べこ屋の意地、畜産農家の意地の問題として、被曝覚悟でエサやりや水くれを続けて参りました。

私の体内からは、ホールボディカウンター検査で放射性セシウム134が3100ベクレル、セシウム137が3500ベクレル検出されました。
高線量の被曝をしながらもがんばってきたのは、牛屋として自分の牛を守るためにどうしても逃げるわけにはいかないという、強い思いからです。
その気持ちは今も変わりません。


◯国の方針は殺処分

今、希望の牧場の330頭の牛や、双葉郡内に残る1000頭を超える牛に対する国の方針は、殺処分であります。

多くの牛が豚がニワトリが、水もエサも無く死に果て干からびてミイラのようになっている。まさに地獄の様であります。

誰のせいでこんな風になってしまったのか?
東京電力の原発の爆発放射能漏れの大事故のせいです。

福島の大地を汚し、そして福島県の農家がみんなが苦しんでいます。
野菜を作っても、米を作っても、果物をつくっても
商売になりません。
福島県産の米は今年販売できるでしょうか、農家みんなが心配しています。


◯福島への差別

二本松でも、とうとうセシウムがでてしまいました。
そして今、福島県民みんなが困っているのは、差別にも近い風評被害の中で
福島県はいらない
福島県は放射能のバイキンだ
こういうような差別が起きている問題だと思います。


福島県は、東京、関東のために50年間電気を作ってきたんです。
水力発電所、火力発電所、原子力発電所10基、みんな東京のみなさんが使っている電気のためなんです。

その電気を作ってきた福島県が今、差別を受け苦しんでいる。
放射能汚染に苦しんでいる。

私は農家として、福島県のみんなの気持ちを東京で訴えたいと演説を続けています。

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◯被曝した牛たちは浪江町の希望になれる

福島県浪江町で330頭の牛は、今なお元気よく生きております。
たくさんの子牛たちも生まれました。

しかし被曝をして、売り物にはなりません。
この牛たちの新しい意味を、今わたしたちは訴えている所であります。

被曝して肉牛として売り物にはならないけれど、
全国の大学研究機関に呼びかけをして、
牛たちの被曝影響調査、牛たちの除染の研究調査をはじめて、成果がでてきております。

絶望的な浪江町の中でも、今後福島県の復興に役立つ被曝影響調査の確かな足がかりが、私の牧場では始まった所であります。

いま福島県200万人の県民は、放射能の影響調査ということで甲状腺やホールボディカウンター、尿検査、全員を検査することが始まっています。
若いお母さんたち、子供たちはどんどん福島県を離れ、人口は200万人を切りどんどん減ってきています。

食べ物心配も大きいと思います。心配だからこそ、しっかり調査をする、牛たちの体内のセシウム、ストロンチウム、様々な放射能の影響を徹底的にしっかり調べることが、食の安全にとって大事なことだと思います。

私の牧場の牛たちは、被曝した生き物として貴重なデータを提供することができると思います。だから私は希望だと思うんです。


◯絶望的な浪江町で戦う

逃げて、精神的に折れ曲がったままで良いのか、
仮設住宅で避難所で人生を終えて良いのか。。。

私たちは浪江町で戦うしかない、
逃げない、どんなに絶望的であっても、逃げてどうするんだ。
避難所で仮設住宅で人生終わってどうするんだ。
復興のために、明日の福島浪江のためにどうするんだ。
それを私は問いたいと思います。


福島県の農家の声を私は伝えたいと思います。
絶望的な浪江町の状況、放射能で汚染され、海の近くは津波で破壊され、
復興の”ふ”の字もありません。
だからといって絶望をし、人間的に生きる道がなくなって良いのか?

そういうふうに私は思うのです。

どうぞみなさん、福島県のみんなのことを考えてください、想像してください。

私たちは300頭の牛たちを、被曝研究のために立派に活かし抜いていきたいと思います。


◯生きる意味を考える

もし原発の事故が起こればどうなるか?考えようじゃありませんか。
もう一度福島と同じような事故が起これば、日本はおしまいです。

原発の電気にどっぷりと頼るような、そういう世の中から方向転換する時期がやってきたように思うんです。
放射能の問題は、福島県ばかりでなく、あちらこちらに広がってきています。

みなさん考えてください、みんなで日本の未来、この大震災、大津波、原発事故から見えることは、人間の生きる意味、私たちは何のために生きるのか一緒に考えようじゃありませんか

私の牧場の300頭の被曝した牛の生きる意味
これからも考えていきたいと思います。

逃げてくじけて倒れて、なんでこれで復興と言えるのか、
と私は浪江町で日々考えております。

どんなに放射能に被曝しようと、どんなに浪江町が絶望的な状況でも、負けるわけにはいかない。
東京電力に対し国に対し、その責任を明らかに、その償いを断固として求めながら、自分の力で浪江町の放射能汚染の現場を除染のためにがんばっていきたいと思います。

決して他人ごとではない、原発事故の大きな被害の中から、みんなで考える時がきたのだと思います
どうかよろしくお願いをいたします。
==========

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●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介

10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!

以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。

「希望の牧場」サポーター基金について詳しくはこちら

「希望の牧場」オフィシャルブログ
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by nekotoru | 2011-10-25 12:01 | 福島 動物

牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.2 ~高邑議員編~

10月9日(日)東京麹町で「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見(自由報道協会主催)が行われた。
Vol.1の吉沢さんに続き、今回は高邑勉議員のお話をお伝えいたします。

□記者会見の概要
会見者
「希望の牧場」アドバイザー 高邑勉 衆議院議員
「希望の牧場」代表 エム牧場浪江農場農場長 吉沢正己氏
希望の牧場オフィシャルブログ

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「希望の牧場」プロジェクトとは
※この部分は、Vol.1 吉沢さん編と同文です。既にお読みいただいた方は読み飛ばしてください。
4月22日、政府は福島第一原発の20km圏内を警戒区域に指定。
これにより区域内の住民は避難を余儀なくされ、人々の立ち入りが禁止された。
しかし、人のいない「死のまち」と化した警戒区域に、多くの動物達が取り残されていた。エサも水もない過酷な状況の中で餓死しミイラ化してしまった家畜も多くいる。
一方、生き残った家畜たちに対し政府は、5月12日に殺処分の決定を下した。
被曝し商品価値がゼロになった家畜は殺せ
そんな風にとれるこの決定に、警戒区域内にあるエム牧場浪江農場に通い300頭以上の牛たちにエサを与え命をつなぎ続けいていた、農場長の吉沢さんは納得がいかず「キレた」。

「牛たちを餓死させたくない、ただただ殺したくなかった」との思いで、
必死に生きている命の意味、命を守る道を探し始める。

そして、警戒区域内の家畜たちを放射能被曝の研究、調査の対象にすれば、今後の日本の復興のために、人々のために役立つ命として活かす道があるのではないか、という答えにたどり着いた。

無意味な餓死や殺処分ではなく、家畜たちの命を守りそして社会のために活かす。
それが「希望の牧場」プロジェクトです。


●1000頭以上の牛たちは今も生きている

4月22日に福島原発から20km圏内が警戒区域に指定され、人の立ち入りが禁止された。
福島県の発表では、区域内に牛約3500頭、豚約30000頭、鶏約68万羽、他にも馬100頭、羊、ヤギ、ダチョウなどの家畜、そして犬や猫もたくさんいた。

原発がどうなるかわからない状況の中、多くの農家たちは家畜を置いたまま避難した。
つながれたままの家畜たちは、餓死をしてしまったが、4月22日以前に野に放たれた家畜たちもたくさんいる。
農家の方たちは、家には戻れない、しかし家畜たちをつないだまま放置すれば餓死してしまう・・・そんな状況の中で苦渋の決断を強いられた。

警戒区域に30回入っている高邑議員は、
「私の感覚では、3500頭の牛のうち今も1000頭以上は生きています。」
と、今からでも守れる多くの命の存在を語る。


●農家さんたちの悲痛な訴え

民主党災害対策本部の福島県対策室に所属している高邑議員は、被災地である南相馬市に入り、現地で被災した農家の方々の訴えを聞いていた。
そんな中で、エム牧場さんの悲痛な思いを聞いた。
行政から立ち入りの許可がおりない中でも、警戒区域に立ち入って牛たちを守っていた。
5月12日に政府が安楽殺の処分を決めたが、
「応じられない、そんな簡単なものではない。家族同然に育ててきた牛たちを紙切れ一枚の指示で殺すことはできない。
埋葬することも許されず、牛たちの命を無意味に一方的に奪うことは牛飼いの誇りにかけてできない。」
他の農家の方たちからも「おらのベコが死んじまう、どうにかしてくれ」という悲鳴にも似た多くの訴えが寄せられていた。


●野馬追いの馬28頭、豚26頭を救う

警戒区域の指定がされて4月22日、相馬の野馬追の馬28頭が区域内に取り残されていた。
人の立ち入りが禁止され、区域内から区域外への動物の移動も禁止されてはいたが、
相馬地方にとって特別な存在であるこの馬たちを、なんとか救うことはできないのかという要望を受け官邸に掛け合い、市が管理するというルールのもと救出することができた。
続いて、3000頭くらいを飼っていた養豚業者からの
「これまで40年間、改良を重ねてきた豚たちは、自分の人生そのもの。
これを全て殺処分というのは、自分の人生を全て否定されるようなもの。
なんとか種の保存だけでもできないか」
という訴えを受け、農水省、政府に掛け合い、26頭だけを東京大学の牧場に移し救うことができた。


●動きの鈍い政府、動き始めた研究者

5月25日の研究者の連盟で総理官邸に”被災動物の保護、被災動物の研究する国立のセンター”の提言を出した。
この提言は政府からは「貴重な提言である」という前向きな答弁を引き出した。
しかし、現場が動かなかった。
一時帰宅、避難区域の見直し、原発の工程表で手一杯、所管の農水省も稲ワラでのセシウム汚染牛の問題があり、全頭殺処分という頑なな態度であった。
しかし、半年がたったここにきて、学者が現地に入り動き始めた。
現在は、学者と市町村が連携し牛の保護が進み、市町村の管理のもと牛の被曝の実態調査、牛からセシウムを除去する研究がはじまった。

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●被災者が主役でなくてはならない

人間の手によって起こされた災害で、何の罪もない動物たちの命が一方的に奪われることはあってはならないと思う。
そして、その動物たちを飼っていた農家の方たちは、被災者である。

被災地では被災者の方たちが主役でなくてはならない。
被災者の方々の苦しみをどやって少なくしていくのか、
それを考えたら、被災者である農家が望まない殺処分、安楽殺をこれ以上すすめるべきでない
と考えている。
そして、考えだしたのが「希望の牧場」プロジェクトである。


●牛たちを研究という目的で生かしきる

餓死、殺処分ではなく、今も被曝しながら生きている牛たちを研究という目的で生かしきるという道があってもいいのではないか。

エム牧場には、今も300頭以上の牛が生きて放牧されている。
この牛たちをこのままの状態でいかし、研究者に入ってもらい研究を進めてもらう。

現に今とある市町村二箇所でこういった研究が進んでいる。
殺処分を望まいない農家の方たちに、この取り組みを知ってもらい参加して欲しい。

まだ国として、牛たちを保護し、被曝研究を進めるという方針を出していないが、
国がこの研究を進め、成果を世界に還元するべきと考えている。

すでに有益なデータがでつつあるので、成果を発表することで、必要な研究であるということを認めてもらえるように動いていきたい。


●牛たちが生き続けることが希望になる

すべての家畜が研究対象になるわけではない。
しかし、生きていくことに意味があると思っている。
家畜は経済価値がなくなったら、無用なんですか?
それは人間の勝手な都合である。
人間の手で起こした災害で、これ以上いのちを奪ってはならない。


殺処分という選択をするのも政治
しかし、いのちを活かすのも政治

被曝をした牛たちが、除染もままならない放射線に汚染された地域で生きていくのは
かわいそうであるが、そこで生き続けていくことが畜産をしている農家の方々、これから故郷に帰ろうと努力をされる方々にとって、希望の灯火になるのではないかと農家の方々とお話をしていて気づいた。



質疑応答の中から

●300軒の農家のうち140軒以上が同意していない

5月12日の政府の殺処分の指示に対し、300軒の農家のうち140軒以上が同意していない。実際に殺処分が行われたのは現時点で30軒二百数十頭であることを考えると、2000頭以上が生存している可能性もある。

現在は、牛や豚たちが自由に町の中を動き回っているため、
一時避難の人の車に牛があたったり、牛が民家を荒らしたりなどの被害がでている。
こうした現実は、農家の悩みにもなっている。

警戒区域は人が自由に入れないので、自治体を動かし家畜を早急に保護し囲い込む必要があると考えている。
すでにこうした取り組みは、南相馬市でははじまっている。


●被曝した牛たちの研究内容と成果

・牛の体内からのセシウムの除去実験
プルシャンブルー、ベントナイト、リンゴペクチン、水素還元水など科学的に効果が認められている薬、そうでないもの含め様々な方法で、体内のセシウムを除去する研究を始めている。

・放射能が生体に与える影響調査
チェルノブイリ事故後、放射能が大型哺乳類の遺伝子に与える影響の研究は行われなかったので、過去に例のない調査である。
現在、肉に含まれる放射性物質は、首の部位で検査されている。
しかし、どの部位にどのくらい、どういった影響がでるのかは研究されていない。
臓器はどうなのか、骨はどうなのか、そういったことはこれまで研究すらされてこなかった。
殺処分されてしまった牛たちの臓器や血液、骨を分析しはじめている。
遺伝子への影響評価は、時間と共に観察していく必要がある。
放射線量の高い地域で被曝しながら生きること、そういった環境そのものが研究対象となる。

・動物の行動学
放牧中の牛たちがどのような行動をとるか
これまで動物たちが自然の中で、どのような行動をとるかの研究はあまりされていなかった。


●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介

10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!

以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。

「希望の牧場」サポーター基金について詳しくはこちら


●関連記事
牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.1 ~吉沢さん編~
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by nekotoru | 2011-10-17 19:59 | 福島 動物

牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.1 ~吉沢さん編~

10月9日(日)東京麹町で「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見(自由報道協会主催)が行われました。
伝えたいことがいっぱいのため、Vol.1では「希望の牧場」代表の吉沢さんのお話をお伝えいたします。

□記者会見の概要
会見者
「希望の牧場」アドバイザー 高邑勉 衆議院議員
「希望の牧場」代表 エム牧場浪江農場農場長 吉沢正己氏
希望の牧場オフィシャルブログ

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「希望の牧場」プロジェクトとは

4月22日、政府は福島第一原発の20km圏内を警戒区域に指定。
これにより区域内の住民は避難を余儀なくされ、人々の立ち入りが禁止された。
しかし、人のいない「死のまち」と化した警戒区域に、多くの動物達が取り残されていた。エサも水もない過酷な状況の中で餓死しミイラ化してしまった家畜も多くいる。
一方、生き残った家畜たちに対し政府は、5月12日に殺処分の決定を下した。
被曝し商品価値がゼロになった家畜は殺せ
そんな風にとれるこの決定に、警戒区域内にあるエム牧場浪江農場に通い300頭以上の牛たちにエサを与え命をつなぎ続けいていた、農場長の吉沢さんは納得がいかず「キレた」。

「牛たちを餓死させたくない、ただただ殺したくなかった」との思いで、
必死に生きている命の意味、命を守る道を探し始める。

そして、警戒区域内の家畜たちを放射能被曝の研究、調査の対象にすれば、今後の日本の復興のために、人々のために役立つ命として活かす道があるのではないか、という答えにたどり着いた。

無意味な餓死や殺処分ではなく、家畜たちの命を守りそして社会のために活かす。
それが「希望の牧場」プロジェクトです。


□希望の牧場の放射線量

事故から半年以上が経った今でも、警戒区域である希望の牧場(浪江農場)では常時高い数値の放射線量が計測されています。
建物内で3μSv/h前後、牧草地では4~8μSv/h、風向きによっては10μSv/hが記録されることがある。
比較用参考数値:東京では0.1μSv/h以下、放射線管理区域が0.6μSv/h以上
年間の被曝量20mSvを時間あたりに直すと3.8μSv
このような高線量の中で、今も牛たちは生きており、吉沢さんや牧場のスタッフは活動を続けています。

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●「ずっと続けてきてよかった」

吉沢さんは、3月以降ずっと牛たちにエサのもやしを運んでいる。
3月はまだ牧草が生えておらず、もやしがあったからこそ牛たちは生き延びられた。
現在は、牧草も食べているので週に一回だが、
トラックが牧場に入る音が聞こえると牛たちがワッと寄ってきて、ゾロゾロとトラックの後をついてくる。
そして、エサをあげていると牛は次から次に寄ってくる、1kmも離れたところからも列をつくって寄ってくる。
そんな牛たちの姿を見て、「(希望の牧場プロジェクトを)ずっと続けてきてよかったと思う。」

と語った時、吉沢さんの表情が少しだけ緩んだのがとても印象的でした。
吉沢さんは、やさしい気持ちで命と向き合っている方なんだな、
命を大切に思う心が「希望の牧場」プロジェクトを推進する原動力なんだなと、感じました。


●天国と地獄

「周辺の牧場や牛舎と比べると天国と地獄の差がある。」

会見の冒頭に流されたVTRに映しだされた、
牛舎や豚舎の中で餓死しミイラ化、白骨化した牛や豚たち。
一方、希望の牧場では子牛もたくさん生まれ、牛たちは青々としげった牧草を食みながら自由に元気に暮らしている。

浪江町の中に、まさに天国と地獄のような状況が生まれてしまった。

吉沢さんは、牛たちを置いてかざるをえなかった人達の気持ちについて
「誰だって大事に飼っていた牛を見捨てて逃げるわけがない
しかし、そうせざるを得なかった・・・それが原発事故のものすごい恐怖だろうと思う。」
と話した。

原発事故がもたらす悲惨、凄惨な現実を見せつけられ、
原発は、エネルギー問題であると同時に、命の問題でもあるのだと改めて感じました。


●商品価値がゼロになったら、生きる意味がないのか

浪江町では警戒区域に指定され、人の立ち入りが禁止された4月22日以降、動物たちが飢えに苦しみ餓死するものもいた。
吉沢さん自身も、築三年の家からの避難を余儀なくされている。
そして、5月12日に政府から生き延びている家畜たちへ「殺処分」の通達が来た。
この時の心情を吉沢さんは、「もうキレたと」と表現されました。

たしかに被曝してしまった家畜たちは、商品価値がゼロになってしまった。
しかし、商品価値がなくなった瞬間に生きている意味のない存在にになってしまうのか。
吉沢さんたちは、家畜の殺処分には反対の立場から、牛たちが生きていく新しい意味を探し始める。
もちろん経済活動ではない、ペットでもない・・・
何かの意味が無いと、これから長く続くこの活動を自分たちはやっていけいない・・・
そして、ついに見つけた答えが
「牛たちを被曝研究に活かし役立てる、本当にこれだと思った。
これなら牛たちの生きる意味がある。」


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●絶望のまちに希望の火を灯したい

「死のまち、という表現があったが、その通りです。
私は絶望のまちと思っている。」


「港の方は、長い時間をかけて築きあげてきたものが木端微塵
絶望的な被害状況である。」

「浪江町の人達の多くは県外に避難している。
浪江町がなくなってしまうかもしれない
もう二度と浪江町で米はつくれないだろう
みんなそれはわかっていると思う。

そういう浪江町に帰る意味があるのかと思う。
帰れもしないし、帰る意味もない。
まさに絶望的な状況
しかし、その中で私たちは6ヶ月7ヶ月と頑張ってきた
絶望的な状況の中で、自らの手で希望の灯りをともすために
残りの人生の課題として取り組んでいきたい。
決死救命、団結
みんなの力で死ぬ気で頑張る
そういう中に、希望の火がともると思う。」



●みんなで協力、団結!「希望の牧場サポーター基金」のご紹介

10月から3月の半年間、300頭の牛たちの命を守るためには約900万円が必要となるそうです。
1日あたりの飼料代が約4.3万円。
10月1日現在で、約106万円が集まったそうですが、牛たちが冬を越すためにはまだまだ不足している状況です。
みんなで力を合わせて、牛たちをサポートしましょう!

以下、希望の牧場ブログより転載
警戒区域内に取り残された動物たちの命を救うため、当プロジェクトでは「希望の牧場モデルプロジェクト」となるエム牧場を中心に活動を行なってまいります。
みなさまのご支援・ご協力をお願いします。

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牛たちの命を守る「希望の牧場」プロジェクト記者会見 Vol.2 ~高邑議員編~
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by nekotoru | 2011-10-16 10:13 | 福島 動物

福島県三春町から避難してきたママのお話~放射能から避難したママネット 増子理香さん~

9月17日(土)私の暮らす国立市のお隣の立川市にて反原発デモ「原発どうする!たまウォークin立川」が開催されました。

都心で行われるデモと比べると規模は小さく約400名程の参加ではあったものの、
比較的のんびりムードの多摩地区でも、こうしてデモが行われたことに大きな意味があるように感じました。

デモの列には国立市の市議会議員の方の顔もありました。
8月末時点で国立市にも30世帯68名の方が福島から避難してきているということで、市議会でも支援について様々議論がなされているということです。

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ポポポポーン♪ 久しぶりに見た^^

そして、今回のたまウォークの特筆すべき点は、
デモ後に様々な分科会が開催されたこと。

僕は、飯舘村の方の記者会見に参加して以来、
福島のことが気になっていましたので、
「福島とつながる」という分科会に参加しました。

この分科会では、福島第一原発の西方向約50~55kmにある福島県三春町から娘さんと二人で多摩地区に避難してきた増子理香さんのお話を伺うことができました。

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●娘さんとお母さん二人だけの避難 避難できただけでも幸せ

増子さんはご結婚後、三春町のご主人のご実家で、
ご主人、娘さん、義父、義母と五人で暮らしていたそうです。

ご主人のご実家は代々農家をやっており、家には黒毛和牛いたり、田んぼ、山、畑もたくさんもっていた。
増子さん自身、20アールの畑で有機農業を行い、全国のお客様に野菜を送っていたそうです。

三春町の空間線量は、福島県内では比較的低い方で県の発表で1.0μSv/h程度だったが、
ガイガーカウンターで様々な場所を測ってみると、2.0μSv/h近いホットスポットも所々で見つかった。

5月10日に東大和市へ小学校1年生の娘さんと二人だけ避難してきた。
旦那さんは、今も三春町に残っている。

娘さんの学校の友だちの中には、どんなに避難を願っても、
年老いた家族がいたり、牛などの生き物がいたりといった事情で
旦那さんが避難を許してくれない家も多くある。

そんな状況の中、娘さんと二人だけの避難になったが、
避難させてもらえただけでも幸せな家庭のひとつと思っている。

娘さんは、三春町にいた頃はいつもマスクをして外で遊ぶこともできなかったが、
東京に避難してきてからは、マスクなしでお日様の下で汗まみれになって遊ぶことができることを、何より喜んでいる。


●避難のきっかけ 学校は子供を守ってくれない

全国に有機農業のお客様がいたので、
当初は汚染された畑を浄化して、有機栽培農家として
どうやって立ち直っていくかしか考えておらず、
避難ということは全く頭になかった。

しかし、三春町では4月6日に通常通り学校の入学式が行われた。

震災、原発事故直後の混乱の中、幼稚園の卒園式は
すべて中止になっていたにも関わらず、
小学校の入学式はなぜか通常通り行われた。
誰も予想していなかったため、みんな崩れたスーパーやお店で
子供の入学式の正装の服などの準備をするような状況だった。

入学式当時に配布されたプリントの中に、
学校の放射能に関する考え方を記載しものがあり、
福島県の放射線リスク管理アドバイザーの山下先生の
「10mSv以下であれば、子供の健康被害は全くありません。」
という言葉があった。
学校はこの方針に従い、校庭での体育をはじめ、通常通りの学校活動を行いますということが書かれていた。

それを見て驚き、すぐに教育委員会等に問い合わせたが、
文部科学省からの指示だからということで、
そのまま学校の授業が始まりそうだった。

保護者200人ほどがあつまった保護者会の席で、
「校庭で体育をやるのはおかしいから、校長先生に話をしにいきましょう」
と呼びかけたが、
校長先生に会いに行く日に集まったのは、
増子さん含めたったの3人。
周りの目などがありなかなか行動できない人が多い現実があった。

結局、学校は通常通りはじまってしまし、
給食も地産地消、福島産の牛乳がだされるような状況だった。

水の安全性も疑わしかったので、
自宅では水道水(井戸水)の使用をやめ、
九州から送ってもらったお水を子供さんに飲ませていた。
学校にも九州の水を持たせたが、
先生から「学校の水道の水は安全だから、持ってきた水は飲んではだめ」と言われて、
子供さんは学校で持参した水を飲むことができなかった。

家で水道水を飲むことをやめていたため、
抵抗感から学校の水道水を飲むこともできなかった。

牛乳も飲んではダメと言っていたので、
その日は喉がかわいても水も牛乳も飲まないまま
学校での一日を過ごすことになってしまった。

そんなことがあり、親は家では子供を守れるが、
学校では先生の理解が得られなければ
子供を守ることができないと思い、避難を考え始めた。


●罹災証明がないと避難できない、東京へ自主避難

避難を考え始めた時に、
都営住宅やURなどに問い合わせをしたが、
罹災証明がないと受付さえしてもらえなかった。

三春町は、避難地域に指定されているわけでもなく、
家が倒壊したわけでもなかったので、罹災証明が出ず
国や自治体関係の機関を通しの避難の道は閉ざされていた。

しかし、偶然インターネットで
個人的に被災者支援をしているサイトを見つけ、
避難者の受け入れをしていた個人のお宅に直接連絡をして、
受け入れ先を見つけることができた。
今現在も、そこで生活をしている。


●三春町に残ったお母さん達の不安と校庭の除染

避難後、三春町に残っているお母さんたちの話を聞くと、
お母さんたちと学校の感覚にズレがあることがわかった。

4月は父兄からの不安の声で
体育館で行なっていた体育の授業を、
ゴールデンウィーク明けから
校庭でやりましょうということになった。

しかし、ほとんどの親御さんは放射能について不安を持っていたので、
体育の授業は「見学希望」と学校へのお便り帳に書いてきた。

ただし、親御さんが学校に伝えた理由は、
「風邪」や「腹痛」などの通常の病気であり、
「放射能」が心配だからと言える人はいなかった。
不安だけれど、それを口に出しにくい空気ができていた。

しかし、そんなことが続く中で、
町や学校の意識も変わり始め校庭の除染が行われることになった。

国からは、校庭の線量が1mSv/yを超える学校には
除染の費用を援助するという通達が来たが、
三春町では線量に関わらずすべての学校で除染が行われた。

増子さんの娘さんが、かつて通っていた学校の校庭は、
除染前0.9μSv/hから、除染後0.3μSv/hまで線量を低減することができた。

しかし、年間1mSvの基準よりは、
まだまだ線量が高いため、
今現在でも校庭での活動は制限されている。
プールでの活動も今のところ中止になっている。


●放射能を不安がるのはタブーな空気

三春町に残った人達の間では、
放射能を心配するということが
たとえ家族同士の会話であっても難しい空気になっていた。

三春町に残っているご主人と電話で話す際も
セシウム牛の話などをすると、怪訝がられる。

逃げたくても逃げられない人
逃げるつもりがない人
にとって、見たくない現実である
”放射能汚染”に反応することが、
タブーのようになりつつある。

増子さんが避難する直前の5月初旬は、
マスクをするのが恥ずかしい
放射能を不安がるのがおかしい
といった雰囲気があった。


●福島県外からの働きかけをお願いしたい

東京にきて思うのは、
放射能汚染に対する意識の高い人が
福島より多いということ。

福島の人達の放射能をタブー視する空気を考えると、
福島の外の人達が外から働きかけて
福島を変えて欲しい感じている。
※放射能をタブー視する人達が、自分からかわることは考えにくい・・・

中央からの働きかけによって、
福島の除染の助成金が出るようになったり、
20mSv/yの基準が下がったりといった
ことが実現している。
引き続き、福島のために力を貸していただけたらと思っている。


●ママネットをつくった理由、増子さんの想い

福島から避難してきたこと、
自主避難者であることを言えない人もいる。
いじめとか差別とかを恐れて、
子供にも福島から避難してきたことを
言っちゃダメといっているお母さんもたくさんいる。
でも、そういう状況はなんだかおかしいと感じる。

そういった人達を助けたいという思いで、
避難者同士がつながって助けあっていけたらと考え
ママネットをつくった。

避難してきた人も、そうでない人も
みんなで支えあるような空気をつくって欲しい。

脱原発も大切だと思うが、
まず今現在も被曝している福島や関東の子供たちを
守ることが大切だと思っている。
私は、この方向からの動きを続きていきたい。


□増子さんが代表をつとめるママネットのHP

避難してきたママさん
ぜひ増子さんとつながってください。

つながろう!放射能から避難したママネット@東京
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by nekotoru | 2011-09-24 14:08 | 福島 避難

福島で起こっていること 「放射線と健康リスク」国際専門家会議

9月13日の福島民報の一面で
「県民被ばくリスク低い」福島で放射線の専門家国際会議
さらに中面で
「心のケア重要性強調 最新研究成果を報告 放射線専門家の国際会議」
という記事が報じられました。

これらは、9月11日・12日に福島県立医科大学で開催された
「放射線と健康リスク―世界の英知を結集して福島を考える」
国際専門家会議(主催:日本財団)について伝えたものです。

国際原子力機関(IAEA)
国際放射線防護委員会(ICRP)、
世界保健機関(WHO)
国連科学委員会(UNSCEAR)

原子力、放射線に関する代表的な国際機関で活動する
放射線医学や放射線防護学の専門家約30名が一堂に会し、
「福島の現状を正しく掌握し、原発事故への健康リスク面からの対応を協議」
することを目的に開催されたこの会議、
開催前より多くの市民団体や研究者によって問題が指摘されていました。


●低線量被曝の健康への影響を認めていない研究者のみが参加

国際専門家会議に先立ち、9月9日に自由報道協会で開催された
「国際専門家会議への公開質問状に関する記者発表」

この場で、市民放射能測定所 岩田渉氏、丸森あや、NPOセイピースプロジェクト隅田聡一郎の各氏は、
「国際会議の参加者に、放射線の低線量被曝による健康への影響をICRPの評価より大きいと考えている研究者がいない。」
「3月中の段階で福島県住民に対してなされた100mSv以下の被曝は安全であるとの説明により、放射線防護に失敗し県民に被曝を強い、今もなお各地で様々な被曝が続いているのではないか。」
「異なる意見を持つ専門家、研究者との議論がなされないのは、自らの責任回避を図ろうとしているようにしか見えない。」
と厳しく指摘しました。

左から 丸森氏 岩田氏 隅田氏
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ICRPの2007年の勧告では、年間100mSvの被曝で1000人に約5人、0.5%の癌で死ぬリスクがあるとされており、100mSv以下の被曝については、学問的には「わからない」が、50mSvなら半分、10mSvならさらに五分の一のリスクがあるだろうと考えるのが合理的としています。

国際会議で委員をつとめる福島県立医科大学副学長であり、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーもつとめる山下俊一氏は、3月11日以降福島県の各所で行った講演会等で「100mSv以下の被曝では健康への影響はない」と断言しており、これはICRP勧告よりも100mSv以下の被曝について過小評価の立場をとっています。

一方で、中部大学の武田邦彦教授はHP上で、
「国際的には1年5ミリ程度まで大丈夫ではないかという医師が多い。10ミリを超えると危険な可能性があるという医師が増えてくる。」
と100mSvの十分の一、二十分の一のより低線量の被曝での危険性を認めている医師や研究者の存在を明言しています。

また、欧州放射線リスク委員会 (ECRR) の主張は、放射線防護基準はICRPの基準より少なくとも10倍厳しくするべき、というものです。

そもそも、ICRPの勧告では一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度は1mSvとされていますし、
放射線業務従事者の被曝限度は、単年で最大50mSv、ただしその前後5年間で100mSvを超えてはならない(年平均20mSv)。と法律で定められています。

これらの事実があることからも、100mSv以下の被曝による健康被害をICRPの勧告よりも大きいと評価する研究者の存在を無視することに疑問が生じてきます。

今回の国際会議の偏った出席者について、記者会見を行った三氏は「被曝による健康へのリスクは低いという結論ありきで集められたメンバーなのではないかとの疑問を持たざるを得ない」と語っていました。



●福島県民の不安解消が目的の『県民健康調査』

山下俊一氏は、福島県「県民健康管理調査」検討委員会委員にも名を連ねています。
その県民健康調査次第のなかに
『今回の福島第一原子力発電所事故による健康影響は極めて少ないと考えられる』
との一文があります。
これには、調査前に結果が予め断定されているのでは、との疑念の声が上がっています。

また、県民健康調査の目的は
『原発事故に係る県民の不安の解消、長期にわたる県民の健康管理による安全・安心の確保』とあります。
しかし、放射線防護の専門家の役割は「不安の解消ではなく、県民の放射線被曝を最小化し、健康被害を未然に防ぐこと」ではないかと三氏は指摘しています。

例えば、福島市役所付近の放射線の空間線量は
0.90マイクロシーベルト/時(2011年09月22日15時48分測定 福島市発表)

この線量を単純に24時間365日浴び続けたとしたら
年間の被曝量は、7.884ミリシーベルトになります。
0.90×24×365=7884マイクロシーベルト=7.884ミリシーベルト
単純計算による目安です。

一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度は1ミリシーベルトとされていること、
低線量の被曝による健康への影響を認めている研究者も多数いること、
放射線業務従事者であっても被曝限度が年平均で20mSvとされていること・・・

これらの事実からは、
現在の福島市の空間線量について
専門家、研究者のすべてが安全と断言するとは考えにくく
見解は様々にわかれると考えるべきだと思います。

より低線量の被曝の影響を認める見解の専門家、研究者の参加がない国際会議の場で出された
「県民被ばくリスク低い」
「心のケア重要性強調」
といった提言が、福島県民の多くが購読する福島民報に掲載されたこと・・・
このことは、本当の意味での福島県民の安全・安心につながっているのか
私自身は強く疑問を感じています。

全国的には、あまり大きく報じられていないと思いますが、
これも福島で起こっていることです。


※私自身、放射能、放射線の専門家ではないため、専門的な知識が充分ではありません。
調査の上、注意深く記述をしておりますが、文中に誤りなどございましたらご指摘ください。

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by nekotoru | 2011-09-23 19:28 | 原発

映画『チェルノブイリ・ハート』 そして、お母さん達の言葉


8月24日(水)IWJ主催 メモリアルウィーク in 小田原
で観た映画『チェルノブイリ・ハート』のこと、
そして、映画を観た後のお母さんたちの言葉についてお伝えいたします。

弱々な僕の心に突き刺さった事実や言葉が重たくて、
なかなかまとめることができず、少し時間が経ってしまいました・・・

映画の上映は音楽室で行われました♪
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映画を見終わってのお母さんたちの言葉

順番が逆になってしまいますが、
最初に映画を見終わってのお母さんたちの言葉を・・・

お母さんたちは涙を浮かべながら
私たちに伝えてくれました。
僕の心には、今でもお母さんたちの言葉が刺さっています。


福島からきたお母さん
====================================
映画を見て、まず福島に重ねあわせてしまった。
私には5歳の娘がいます。
将来病気にもさせたくないし、
万が一病気にならなかったとしても、
娘が子供を産むときに、悲しい思いをさせたくないと考えています。

自分は被災者であり、今はたぶん被爆者でもある。

福島のみんなの声は、
福島の現状をとにかくみんなに知ってもらいたい
というものです。

知ってもらえないと誰も動けないし
どうすればいいのかわからない
自分が声をあげることで、
みなさんが国が少しでも良い方向に動くように
声をあげてほしいと思っています。

ひとりの力では何もできないと思っていましたが、
自分が福島の友達に放射能の危険性を話すことで、
避難を決断してくれた人もいました。

みなさんも、自分の周りの人にだけでもいいので、
事実を伝えて、何かできることがあれば実行して欲しいです。
====================================

6ヶ月の息子さんがいるお母さん
====================================
私には、6ヶ月の息子がいます。
生まれる前の検診で、病気があることがわかっていました。

映画の中にでてきた心房中隔欠損という病気を
私の息子も持っています。

それ以外にも重大な病気をもっていて、
生まれて五時間後に小さなお腹を切って手術をしました。
私はもう心配で心配でしょうがないという経験をしたので、
映画の中のお母さんが自分が重なって、とても苦しかったです。

日本にいて、すぐれた医療技術の中
みなさんの力をかりて、私の息子は命を助けていただきました。
そんなに一所懸命になって守った命なのに・・・

映画の中には、信じられない数字がたくさんでてきて、
苦しんでいる子供、病気でなくなる子供がたくさんいて・・・

今まで、こんな事態になってどうしたらいいんだろうと思っていましたが、
ただひとつ、
絶対にもう原発は存在してはならないということを、
自分の気持の中に強く強く持とうと思いました。

どんな理屈があっても、原発はやはり存在してはならない
とにかくそれだけを強く思いました。

私たち大人がそういう強い決意を持って臨めたらいいなと思っています。
====================================


映画『チェルノブイリ・ハート』を観て・・・

□映画の概要
監督: マリアン・デレオ
2003年の米アカデミー賞で短編ドキュメンタリー賞受賞

チェルノブイリ事故から16年後の2002年、ベラルーシ共和国。
「ホット・ゾーン」の村に住み続ける住民、放射線治療の現場、小児病棟、乳児院
今なお続く被曝被害の事実に迫った渾身のドキュメンタリー
(公式サイトより)
チェルノブイリ・ハート公式サイト


甲状腺癌を患った病室いっぱいの子供たち
甲状腺癌の手術を明日に控えた子供の不安げな眼差し
事故後に生まれた重度の障害を持った子供たちの姿
水頭症の赤ちゃんが生まれてくる瞬間
心臓の手術を受けなければ生きられない子供の姿

次から次に映しだされる、時に目を逸らしたくなるような映像は、
すべて2002年、原発事故から16年後に
チェルノブイリ原発から80kmほどに位置する
ベラルーシ共和国ゴメリ州で起こっていた事実

チェルノブイリ・ハートとは
チェルノブイリの被害が及んだ地域で
生まれた子供が先天的に持っている心臓の重度の疾患のこと。

映画中での医師の言葉には、大きな衝撃を受けました・・・
「ここでは健康な子供が生まれる割合は15-20%」
「免疫力が弱く、生まれた後に病気になる割合も多く、
 他のヨーロッパ諸国に比べ乳幼児の死亡率が300%高い」

心臓疾患の他にも、小児甲状腺癌、水頭症、脳の障害、身体的な障害・・・


映画が撮られてから10年近くが経っていますが、
子供たちは今どうしているのか?
今も同じような状況が続いているのか?

そして、日本でも同じようなことが起こるのか・・・

現実が重くのしかかってきます。


放射線被曝による健康被害については、
主にガンのリスクが増える
という部分に焦点が当てれられている場合が多いように感じますが

それだけではない・・・

遺伝子が傷つけられることによっておこる、
二代、三代先の子供たちにも起こってしまうかもしれない、
様々な先天的な障害についても、
同じように語られなければならないように思います。


「不安を煽るから」とか
「パニックを防ぐためです」とかで、
目を背けたくなる現実が隠されることがありますが、
僕は現実を見なければいけないと思います。

自分の子供を思い最も切実であるお母さんたちの多くは、
たとえ、不安になっても、パニックになっても
真実を知りたいと思っているように感じます。

子供たちや他のお母さんが
悲しい思いやつらい思いをしないことを願っているように感じます。

正しい情報を知り、全力で後悔のないように
子供たちを守りたいと考えているように感じます。


僕は結婚していますが、子供はいません
でも、大切な家族や猫たち(家には猫が7匹います)を守りたいと思っています。
だから、いま起こっていることは自分の問題だと考えています。
そして、自分にできることは全力でやろうと思っています。

お母さんたちの涙や言葉から、強い決意と勇気をもらいました!


岩上さん
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●IWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)
ジャーナリストの岩上安身氏が主催するネットメディア
3月11日以降のUstreamでの各種会見、デモ、専門家インタビューなどの
ネット中継の質と量は圧巻のひとこと!

個人的には、IWJがもたらしてくれた一次情報によって、
見える世界が大きく変わり、情報リテラシーを強く意識するようになれました。
岩上さん、IWJスタッフのみなさま、本当にありがとうございますm(_ _)m

メモリアルウィーク in 小田原
主催 IWJ
日程 2011年8月20日(土)から26日(金)
会場 小田原市の廃校 片浦中学校
3.11以降の脱原発等の動きについての講演会、シンポジウム、トークイベント、映画上映会、展示。
福島の子供たちを小田原に招いて、夏休みを過ごしてもらうチャリティーイベント

会場の「片浦中学校」 母校じゃないけど、なんだか懐かしい空気感♪
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海岸線から急な坂道を登って会場の片浦中学校へ
振り向けばいつも海が見える♪
坂はきついけど、素敵な町小田原市根布川
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by nekotoru | 2011-09-08 03:50 | チェルノブイリ


普段は猫写真家ですが、たまに小さなメディアになって伝えます。おしどりマコさんケンさんの「自分がメディアになろうぜ」一期生?(仮&非公認)自分で見たこと聞いたこと、感じたままにお伝えします。


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