福島県三春町から避難してきたママのお話~放射能から避難したママネット 増子理香さん~

9月17日(土)私の暮らす国立市のお隣の立川市にて反原発デモ「原発どうする!たまウォークin立川」が開催されました。

都心で行われるデモと比べると規模は小さく約400名程の参加ではあったものの、
比較的のんびりムードの多摩地区でも、こうしてデモが行われたことに大きな意味があるように感じました。

デモの列には国立市の市議会議員の方の顔もありました。
8月末時点で国立市にも30世帯68名の方が福島から避難してきているということで、市議会でも支援について様々議論がなされているということです。

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ポポポポーン♪ 久しぶりに見た^^

そして、今回のたまウォークの特筆すべき点は、
デモ後に様々な分科会が開催されたこと。

僕は、飯舘村の方の記者会見に参加して以来、
福島のことが気になっていましたので、
「福島とつながる」という分科会に参加しました。

この分科会では、福島第一原発の西方向約50~55kmにある福島県三春町から娘さんと二人で多摩地区に避難してきた増子理香さんのお話を伺うことができました。

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●娘さんとお母さん二人だけの避難 避難できただけでも幸せ

増子さんはご結婚後、三春町のご主人のご実家で、
ご主人、娘さん、義父、義母と五人で暮らしていたそうです。

ご主人のご実家は代々農家をやっており、家には黒毛和牛いたり、田んぼ、山、畑もたくさんもっていた。
増子さん自身、20アールの畑で有機農業を行い、全国のお客様に野菜を送っていたそうです。

三春町の空間線量は、福島県内では比較的低い方で県の発表で1.0μSv/h程度だったが、
ガイガーカウンターで様々な場所を測ってみると、2.0μSv/h近いホットスポットも所々で見つかった。

5月10日に東大和市へ小学校1年生の娘さんと二人だけ避難してきた。
旦那さんは、今も三春町に残っている。

娘さんの学校の友だちの中には、どんなに避難を願っても、
年老いた家族がいたり、牛などの生き物がいたりといった事情で
旦那さんが避難を許してくれない家も多くある。

そんな状況の中、娘さんと二人だけの避難になったが、
避難させてもらえただけでも幸せな家庭のひとつと思っている。

娘さんは、三春町にいた頃はいつもマスクをして外で遊ぶこともできなかったが、
東京に避難してきてからは、マスクなしでお日様の下で汗まみれになって遊ぶことができることを、何より喜んでいる。


●避難のきっかけ 学校は子供を守ってくれない

全国に有機農業のお客様がいたので、
当初は汚染された畑を浄化して、有機栽培農家として
どうやって立ち直っていくかしか考えておらず、
避難ということは全く頭になかった。

しかし、三春町では4月6日に通常通り学校の入学式が行われた。

震災、原発事故直後の混乱の中、幼稚園の卒園式は
すべて中止になっていたにも関わらず、
小学校の入学式はなぜか通常通り行われた。
誰も予想していなかったため、みんな崩れたスーパーやお店で
子供の入学式の正装の服などの準備をするような状況だった。

入学式当時に配布されたプリントの中に、
学校の放射能に関する考え方を記載しものがあり、
福島県の放射線リスク管理アドバイザーの山下先生の
「10mSv以下であれば、子供の健康被害は全くありません。」
という言葉があった。
学校はこの方針に従い、校庭での体育をはじめ、通常通りの学校活動を行いますということが書かれていた。

それを見て驚き、すぐに教育委員会等に問い合わせたが、
文部科学省からの指示だからということで、
そのまま学校の授業が始まりそうだった。

保護者200人ほどがあつまった保護者会の席で、
「校庭で体育をやるのはおかしいから、校長先生に話をしにいきましょう」
と呼びかけたが、
校長先生に会いに行く日に集まったのは、
増子さん含めたったの3人。
周りの目などがありなかなか行動できない人が多い現実があった。

結局、学校は通常通りはじまってしまし、
給食も地産地消、福島産の牛乳がだされるような状況だった。

水の安全性も疑わしかったので、
自宅では水道水(井戸水)の使用をやめ、
九州から送ってもらったお水を子供さんに飲ませていた。
学校にも九州の水を持たせたが、
先生から「学校の水道の水は安全だから、持ってきた水は飲んではだめ」と言われて、
子供さんは学校で持参した水を飲むことができなかった。

家で水道水を飲むことをやめていたため、
抵抗感から学校の水道水を飲むこともできなかった。

牛乳も飲んではダメと言っていたので、
その日は喉がかわいても水も牛乳も飲まないまま
学校での一日を過ごすことになってしまった。

そんなことがあり、親は家では子供を守れるが、
学校では先生の理解が得られなければ
子供を守ることができないと思い、避難を考え始めた。


●罹災証明がないと避難できない、東京へ自主避難

避難を考え始めた時に、
都営住宅やURなどに問い合わせをしたが、
罹災証明がないと受付さえしてもらえなかった。

三春町は、避難地域に指定されているわけでもなく、
家が倒壊したわけでもなかったので、罹災証明が出ず
国や自治体関係の機関を通しの避難の道は閉ざされていた。

しかし、偶然インターネットで
個人的に被災者支援をしているサイトを見つけ、
避難者の受け入れをしていた個人のお宅に直接連絡をして、
受け入れ先を見つけることができた。
今現在も、そこで生活をしている。


●三春町に残ったお母さん達の不安と校庭の除染

避難後、三春町に残っているお母さんたちの話を聞くと、
お母さんたちと学校の感覚にズレがあることがわかった。

4月は父兄からの不安の声で
体育館で行なっていた体育の授業を、
ゴールデンウィーク明けから
校庭でやりましょうということになった。

しかし、ほとんどの親御さんは放射能について不安を持っていたので、
体育の授業は「見学希望」と学校へのお便り帳に書いてきた。

ただし、親御さんが学校に伝えた理由は、
「風邪」や「腹痛」などの通常の病気であり、
「放射能」が心配だからと言える人はいなかった。
不安だけれど、それを口に出しにくい空気ができていた。

しかし、そんなことが続く中で、
町や学校の意識も変わり始め校庭の除染が行われることになった。

国からは、校庭の線量が1mSv/yを超える学校には
除染の費用を援助するという通達が来たが、
三春町では線量に関わらずすべての学校で除染が行われた。

増子さんの娘さんが、かつて通っていた学校の校庭は、
除染前0.9μSv/hから、除染後0.3μSv/hまで線量を低減することができた。

しかし、年間1mSvの基準よりは、
まだまだ線量が高いため、
今現在でも校庭での活動は制限されている。
プールでの活動も今のところ中止になっている。


●放射能を不安がるのはタブーな空気

三春町に残った人達の間では、
放射能を心配するということが
たとえ家族同士の会話であっても難しい空気になっていた。

三春町に残っているご主人と電話で話す際も
セシウム牛の話などをすると、怪訝がられる。

逃げたくても逃げられない人
逃げるつもりがない人
にとって、見たくない現実である
”放射能汚染”に反応することが、
タブーのようになりつつある。

増子さんが避難する直前の5月初旬は、
マスクをするのが恥ずかしい
放射能を不安がるのがおかしい
といった雰囲気があった。


●福島県外からの働きかけをお願いしたい

東京にきて思うのは、
放射能汚染に対する意識の高い人が
福島より多いということ。

福島の人達の放射能をタブー視する空気を考えると、
福島の外の人達が外から働きかけて
福島を変えて欲しい感じている。
※放射能をタブー視する人達が、自分からかわることは考えにくい・・・

中央からの働きかけによって、
福島の除染の助成金が出るようになったり、
20mSv/yの基準が下がったりといった
ことが実現している。
引き続き、福島のために力を貸していただけたらと思っている。


●ママネットをつくった理由、増子さんの想い

福島から避難してきたこと、
自主避難者であることを言えない人もいる。
いじめとか差別とかを恐れて、
子供にも福島から避難してきたことを
言っちゃダメといっているお母さんもたくさんいる。
でも、そういう状況はなんだかおかしいと感じる。

そういった人達を助けたいという思いで、
避難者同士がつながって助けあっていけたらと考え
ママネットをつくった。

避難してきた人も、そうでない人も
みんなで支えあるような空気をつくって欲しい。

脱原発も大切だと思うが、
まず今現在も被曝している福島や関東の子供たちを
守ることが大切だと思っている。
私は、この方向からの動きを続きていきたい。


□増子さんが代表をつとめるママネットのHP

避難してきたママさん
ぜひ増子さんとつながってください。

つながろう!放射能から避難したママネット@東京
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by nekotoru | 2011-09-24 14:08 | 福島 避難


普段は猫写真家ですが、たまに小さなメディアになって伝えます。おしどりマコさんケンさんの「自分がメディアになろうぜ」一期生?(仮&非公認)自分で見たこと聞いたこと、感じたままにお伝えします。


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